夏の暑さも徐々に引き始め、少し汗ばむ程の陽気が気持ち良く感じられる、とある日。
遠征に、鍛錬に、採掘に。目的はそれぞれ違えど、出掛けるにはこれ以上ない程の晴天である。
その一方で陽光に背を向け、ひたすら堕落に勤しむ式姫もいる。あれは一種の才能ともいえるだろう。
こうなってはいけないという見本と同居しているせいで、主まで堕落に染まってしまう事はない。
では清く正しく清廉潔白実直堅固、家事に討伐に式姫の世話に全力全霊粉骨砕身な陰陽師の鑑かと言うとそうでもない。
半端者――正しいかどうかはさておき、自身を評価するならその三文字で事足りる。
今に至っては部屋の掃除を終えた所なので、傍目に見れば働き者と言えるかもしれない。
ただ、先述の怠け者達に小言を届けてやる程真面目ではない。その役目は、そういうのが得意な式姫に譲ってあげよう。
「…………」
成程、耳を澄ませば夜摩天の説教が遠くから聞こえてくる。誰が怒られているかは想像がつく。
掃除という免罪符を作り終えたばかりの俺は、まぁ今日の所は大丈夫だろう。
「うーむ、しまったな」
綺麗になった部屋を見渡して、一つの過ちに気付く。
やる気に任せて綺麗にしすぎてしまったせいで、ダラダラしようとする気が埃の如く雲散してしまった。
仕方ないので自室を後にして、腹減り具合に従い台所へ向かう。
昼餉と夕餉の中間地点、世間一般で言うところの三時のおやつ。
いい歳した大人でも、体を動かせば腹は減るのだ。
「あ、オガミさん」
台所の小さな主が、こちらに振り向いた。その両手は止まる事なくおにぎりを生産している。
チラリと机に視線を移すと、案の定数個のおにぎりが乗った皿があった。
「へぇ、おにぎりか」
「あっ、食べちゃダメだよ?」
「へいへい」
おくりすずめに注意され、俺は肩をすくめた。
食べていいか問う前に注意されるという事は、つまみ食いの常習犯としてマークされている事を意味する。
そうするとつまり、俺は清廉潔白などとは程遠い存在なのだろう。
彼女が台所に立つと、ほぼ確実におにぎりが量産される。
いや別に不味いワケではないのだが、たまには他の料理も見てみたいと思うのは贅沢だろうか。
「ちょうど良かった、それ届けてもらえませんか?」
おにぎりと、添えられた沢庵、そして熱々の緑茶。これをおやつと呼ぶには少々無理がある。
「まぁ暇だから構わないけど……誰に?」
「かささぎひめさんです」
それを聞いて、俺は眉をひそめた。
「あぁ、あの偏屈な式姫ね。了解、了解」
「よろしくお願いしますね」
「あーそうだ、すずめちゃん」
「何ですか?」
「一個もらっていい?」
「ダメです」
おにぎりの代わりに予想通りの返事を頂いた俺は、盆を手にしてあえなく台所から立ち去った。
「かささぎひめー、入るぞー」
返事を待たずに障子を開く。
不作法なのは承知の上だが、そもそも屋敷の主は俺なのだから大した問題ではない。
幸か不幸か、それで着替え中の式姫を覗いてしまった事は何回かあるが、それは相手の返事が遅いのがいけないのであって
こちらに非はないと力説しても当然聞き入れてもらえず手形の残る頬をさすったり瘤の生えた頭を撫でたりしていた。
まず目に入るのは、本の散乱した床。ここまで散らかすことができるのはタナトスくらいか。
そして部屋の主は、締切を翌日に控えた作家のような悲壮な表情で眼下の原稿用紙を睨んでいた。
背中の羽がぐったりと垂れている。元気がないのは一目瞭然だ。
こちらには一瞥もくれないその顔には、クマこそ出来ていないが目が濁っている。
一瞬引き返そうと思ったが、おくりすずめの言葉を思い出し、なんとか踏みとどまった。
「……なんだ、いるなら返事してくれよ」
「あー……?あー……はあぁー……」
緊張の糸が切れたのか、長いため息と共にかささぎひめが机に突っ伏した。
本の散乱した室内に足を踏み入れる。
踏まないように足を滑らせないように気を付けながら、仮死状態の彼女の隣へ盆を下ろす。スペースがほとんどない。
「ほら、おくりすずめからの差し入れだ」
「…………いらない」
「そう言わずに食えよ、せっかく作ってくれたんだ」
「ご飯よりアイデアがほちい……」
「知るかそんなもん。ここに置いとくぞ」
抜け殻のようなかささぎひめを放置し、俺は勝手に部屋を片付け始めた。
自身の部屋を綺麗にした後で、こうも汚い部屋を見せつけられてはじっとしていられない。
意外と真面目なのかもしれないな。
「それで、何で私の部屋に居座ってるのよ。もぐもぐ」
「ちゃんと食べるか見張っててくれとのお達しだ。もぐもぐ」
もちろん嘘だが、かささぎひめ放っておくのも心配である。
ついでに自分の腹が心配なので、こうしておにぎりを分けてもらっている。もぐもぐ。
出ていけと言わないあたり、一応感謝はしているようだ。
「そんなに根を詰めてやるような事でもないだろう。もう少し自分を気遣ったらどうだ」
「余計なお世話よ。もぐもぐ」
その余計なお世話をしっかり咀嚼しながら言われても説得力がないのだが……。
「ずずず……ふーっ、生き返ったぁ」
お茶をすすり終えると、ようやく顔に精気が戻って来たようだ。
野暮ったいベレー帽と丸眼鏡の向こうに覗く、綺麗な青い瞳。モノクロの二色で彩られた羽。
きちんと化粧をすれば美少女になりそうなものだが、残念ながらこの偏屈な式姫はお洒落に興味をもたない。
織姫と、小説。食いついてくるのはその辺りの話題だ。
「もったいないなぁ……」
「何が?」
「いや、なんでもない。それより――」
「あー言わないで。その先の言葉は今一番聞きたくないの」
空になった皿をどけて、かささぎひめがまた頭を抱えて机に突っ伏した。
「やれやれ……」
まぁ、進捗など訊くまでもないか。
原稿が順風満帆なら、今頃俺を追い出してさっさと机に向かっている。
「ねぇ、織姫は?」
顔を伏せたまま、かささぎひめが小声で問いかける。
「朝から採掘に出掛けたよ」
「羨ましい……」
「分かる分かる、あの細い体のどこにあんな力が」
がしっ、と一瞬の間に腕が掴まれた。
呆気に取られている俺の顔を、かささぎひめのキラキラした瞳が覗いている。
しまった、これは……。
「ふふ、うふふふふ」
「な、なんだ?」
「織姫……ふふふ、いいわね……あの細腕で軽々とツルハシを振る姿……ふふふ……」
かささぎひめの青い瞳に、危ない光が宿っている。何かスイッチが入ってしまったらしい。
「さ、さーて差し入れも無事消化した事だし、俺はそろそろ――」
「駄目、逃がさないわよ。お腹も膨れたことだし、ここらで織姫談義といきましょうか」
どうしてこうなった。
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日の目を見る事のなかったあの式姫に光を。