No.1019936

ガルーダダッシュ

カカオ99さん

以前書いたものを手直しして投稿。6のメインキャラたちのバレンタインデーの話。時期はM07セルムナ連峰戦後。ネタバレと捏造だらけなのでお気をつけて。罰ゲームの例→http://www.tinami.com/view/998129  戦後のガルーダ隊→http://www.tinami.com/view/380426

2020-02-15 20:16:22 投稿 / 全11ページ    総閲覧数:991   閲覧ユーザー数:991

   1

 

 首都グレースメリアを目指す旅の途中で小さな街に寄り、食料品や日用品を買いたす。戦争中で物資は不足しているけど、店はなんとかやっているらしかった。

「メリッサ、荷物は積み終わったわ」

 車のキーをルドミラが手渡した。「じゃあ出発しましょ」と言って、私が運転席、ルドミラが助手席に座る。今度の運転は私。

 最初はルドミラがずっと運転をしていたけど、グレースメリアまではまだまだ遠い。徐々に交替で運転するようになった。

 今は大陸の中部あたり。南部の道路を走っている。

 ルドミラがラジオをつけてチャンネルをいじる。彼女が探してるのは、違法に電波ジャックをして番組を流す自由エメリア放送。正直、旅をするにはエストバキアのプロパガンダ放送より、こちらのほうが軽快でいい。

 ようやくチャンネルが見つかった。いつものDJの陽気な声が聞こえてくる。

「今日最初の話題は、ガルーダダッシュについての続報だ」

 どうやら首都では、悪戯が流行っているらしい。エストバキア兵の軍服に、ガルーダ隊のエンブレムを描いた紙を瞬間接着剤で()っていくというもの。兵士たちの間では、被害者続出という話だった。

「子供たちの絵は、日々上達してるぞ。今日手に入れた絵は、ワッペンで貼りつけてもいいくらいの出来だ」

 グレースメリアにいる子供たちの話題を頭の中で娘に置きかえて、思わず笑みが浮かぶ。きっと娘も同じことをしているはず。そう思うことで、希望を保つことができた。

「さあ! 次の曲は『ぬこぬこにしてあげる』。みくみくじゃないぞ」

 曲が流れ始める。かわいらしい曲とのどかな風景。ドライブびよりのいい天気。今の状況だけを抜き取ると、楽しい女二人旅。

 実際は戦争中だった。

 去年の夏の終わりに突然起きた、エストバキアによるグレースメリア侵攻。あっというまにエメリア軍は負けて、追い出された。代わりに来たのは占領軍。

 王様橋が壊されたことで、旧市街と新市街は完全に分断された。簡単に往来はできない。奪われた自由と情報。軍人の妻という立場の危うさ。なにかに追い立てられ、流されるようにしてグレースメリアから逃げた。

 逃げる途中で見たスクールバスと、メリッサという名前が入った戦闘機。どちらもすぐに家族の死を連想させるほどの、酷い壊され方。

 だけど、抜け殻の状態でたどり着いた国境沿いの難民キャンプで、希望を見出した。そこにあったラジオから聞こえた女の子の声と、「天使とダンスでもしてな」という台詞。

 あの声は絶対にそう。娘の声。何百人という子供の集団がいても、我が子だけは見分けられる。聞き分けられる。あの子の生存を信じて、グレースメリアを目指した。

 偶然とはいえ、一緒に旅をすることになったのは、エストバキア人のルドミラ。戦闘機パイロットの恋人に会うため、無謀にもグレースメリアを目指していた。

 敵国の人間だからといって、彼女と私はなにも変わらない。相手は生きてる。それだけを信じて、ひたすらに目的地を目指す。

 ——ユリシーズが降った日、願い事をしたんだ。死んでも君を守れるようにって。

 旅を始めてから、夢には何度も夫が出てくる。夫の夢を見たあとはルドミラに気づかれないよう、涙をぬぐってから起きた。

 夫の戦闘機は墜ちた。

 でも、脱出に成功したかもしれない。生きてるかもしれない。

 そんな望みをいだいていても、夢を見るたびに薄れていく。夢の中で夫は、「落下する隕石に願い事をしたから、バチが当たったのかな」と言ったことがあるから。

「次はエメリア軍の情報だ。今彼らは…」

 曲が終わり、DJはエメリア軍のことを話し始める。空軍で一番活躍しているというガルーダ隊の存在は、ラジオを通じて知った。

 その活躍が大きければ大きいほど、ふと、気をゆるめた時に思う。もし彼らがそばにいれば、夫は墜ちなかったはずだと。

 もちろん、それはただの八つ当たりだと分かっている。

 ——天使とダンスをした時、墜ちないように君に守ってもらうんだ。いいアイデアだろ?

 夫は自分が乗る戦闘機に、女性の天使の絵と私の名前を書き入れた。おまじない程度とはいえ、愛する人は私を頼ってくれたのに。

 夫が仕事に行くたびに、無事を祈った。祈るだけではどうにもならないのは分かっている。分かっていても私の祈りは弱く、届かなかった。彼を守れなかった。

 ルドミラは胸元のペンダントを握り、毎日祈りを捧げる。愛する人と空を飛ぶことが叶わない人間ができるのは、それだけ。

 だから娘だけは——。

 ずるいと分かっていても、守れなかった夫に願い続ける。

 どうかあの子を守って。私は大丈夫だから、マティルダのそばにいてあげて。アルバート。

 

   2

 

 そばにラジオくんが座った。手にはいつもの古い型のラジオ。

 両親と、レストランと、住んでる場所。全部失った場所で見つけた、大切な物だった。ラジオくんはそれを絶対に手放さない。抱いて寝る時だってある。

 ラジオくんの本当の名前はアレックス・オライリー。アレックスっていう名前がパパのミドルネームと同じだから、ついつい面倒を見てしまう。

「マティルダ。うまくいったね」

「次もこの調子でいこうね」

 ついさっき、ガルーダダッシュが成功した。警備兵がつけたという名前がなんとなく面白くて、私たちも使うようになった。

 今日はラジオくんとコンビを組んで行動。さっきは私が()りつけ役で、ラジオくんが見張り役。

 こんな悪戯を始めたのは、エストバキアの兵士から盗んだ鞄がきっかけ。エメリア軍の資料がいっぱいあった。その中から、ガルーダ隊のエンブレムが写った写真を見つけた。

 誰かがそれを真似して紙に描いて、誰かが切り抜いて、誰かが接着剤でエストバキア兵の服に貼りつけた。そのやり方はあっというまにみんなの中で大流行り。

 これは自分たちなりの仕返しだった。子供だから銃はうまく使えないけど、それ以外ならできる。

 盗んだり悪戯したり、パパやママが知ったら怒ると思う。

 でも、どうしてもやり返したかった。

 街は壊される。家がある新市街にも帰れない。パパやママとも会えない。ラジオくんみたいに、二度と会えない子だっている。

「そうだ。チョコ食べようか。みんなには内緒だよ?」

 悪戯が成功したお祝いに、ポケットにある板チョコのかけらを二人で分け合う。いつも食料をこっそり分けてくれるお店のおばさんが、「今日はバレンタインデーだから」とくれたもの。

「ねえ知ってる? ガルーダって金色の鳥で、神様が乗る乗り物なんだって」

 つい最近仕入れたばかりの知識を披露する。チョコを食べ終えたラジオくんはチャンネルをいじりながら、「金色の王様みたいだね」と驚いた。

「いつかガルーダ隊が、ここに帰ってくるといいね」

「その時みんなで、ガルーダ隊出撃! って言おうか」

「来るの分かるかな?」

「きっとこの人が教えてくれるよ」

 ゼッドの番組が流れるラジオが突き出される。二人で耳を傾けた。今日もゼッドはガルーダ隊のことを話している。

「今度の金色の王様は、天使に乗ってやって来るんだね」

 私がそう言うと、ラジオくんは「マティルダのパパだといいね」と小さな声で言った。思わず自分の服のすそをギュッと握る。

 ママが今も家にいるのか分からない。

 もしかしたら難民キャンプへ逃げたかも。空襲で死んでなんかいない。

 だって新市街の住宅地には墜ちなかったと聞いたもの。パパは西へ逃げたエメリア軍の中にいるはず。

 でも全部予想だから、本当は分からない。

 エメリア軍はアネア大陸上陸に成功して、西の街で立てこもっていた大勢の味方と合流できたらしい。そこで活躍してるのはガルーダ隊。

 最初はボロボロだったエメリア軍は、再編されてここまで来た。再編っていうのは、生き残った人たちを新しい班に振り分けるようなものだって、親切な大人がそんなふうに教えてくれた。

 それを聞いて、パパがガルーダ隊に再編されていたらいいのにと思った。

 だけどそんなこと、仲間には言わない。多分、変な子に思われるから。

 嘘だったらどうする? パパはほかの部隊にいる? どこにもいなかったら?

 もし、この世界の、どこにも——。

「それじゃ次は、私が見張り役で、君が貼りつけ役ね」

 パッと気分を切り替えて言う。ラジオくんは「うん」とうなずいた。

 パパは向こうで頑張ってる。だから私も頑張れる。怖いのだって我慢できる。

 ママもガルーダ隊にパパがいると思ってるといいな。きっとママは家か難民キャンプで、ゼッドのラジオを聞いてるはず。家では庭でラジオをよく聞いてたもの。

 今はみんなバラバラだけど、きっとまた会える。みんなで一緒にご飯を食べられる。家で一緒にテレビを見られる。

 ねえパパ、ママ。私、頑張るから。

 だからもう少しだけ、ガルーダ隊にパパがいるって思ってもいいよね。

 ……いいでしょ?

「ねえ、次はどこでやる?」

 ラジオくんが立ち上がると聞いてくる。

「うーん……次も信号機で待ち伏せしよっか」

 そう言って、近くの交差点を指差した。

 

   3

 

 交差点の信号が青に変わったので、歩き始める。子供が全速力で横断歩道を渡った。十中八苦ストリートチルドレン。

 そのうしろをエストバキアの警備兵が追いかける。笛を吹きながら「待てー!」と叫ぶが、そう言われて待つ人間はいない。

 子供が走ってきた方角では、ほかの警備兵と喋ってる将校がいた。上着を脱いでなにかを見てる。おそらく例のガルーダダッシュをやられたのだろう。

 最初に警備兵が名付けたらしいが、いつのまにか正式なものになった。

 ——ヴォイチェク中佐、街を歩く際は気をつけてくださいよ。あれ、本当に参りますから。

 被害に()った情報局の部下は、うんざりした顔で忠告してくれた。

 エストバキア軍の制服を見たら、ガルーダ隊のエンブレムを描いた紙を接着剤で()り、すぐに逃げる。慌てふためくさまを遠くから見て笑う。

 こちらの兵士の間では犠牲者が続出。だからといって軍服を着ないわけにもいかない。街中を注意しながら歩くしかなかった。

 相手は子供だから簡単に捕まえられると思いきや、そうでもない。土地勘のある子供たちはあちこちを逃げ回り、小回りが効く。警備兵たちはいつも振り回されていた。

 子供たちに気をつけながら、雑多な用事を何件か済ませる。一段落したところで休憩できる場所を探した。

 通りを一つ隔てた所に喫茶店があるのを思い出し、そこを目指す。交差点の信号が赤になったので待った。

「ガルーダ隊、出撃!」

 うしろから子供の声が聞こえたので、とっさに振り返った。黒いニット帽を被った子供は慌てて止まる。ハッとした表情で私の顔を見て、次に杖を見た。子供は「あ…」と声を出す。明らかに戸惑っていた。

 緒戦で負傷したせいで、杖を使った生活をよぎなくされていた。二度と空は飛べない体。

「なにやってるの! 早く!」

 どうやら見張り役がいるらしい。遠くから女の子の声が聞こえた。二人一組で行動してるということか。声がしたほうを見ると、サッと隠れられる。

「ごめんなさい!」

 私にガルーダ隊のエンブレムを貼ろうとした子供は、謝ると逃げていく。おそらく見張り役の子も一緒に逃げた。

 信号が青に変わる。被害に遭ったわけではないので、巡回してる警備兵を呼ぶ必要もない。そのまま喫茶店を目指した。

 ガルーダダッシュの被害に遭うことなく、無事に喫茶店にたどり着いた。コーヒーを注文する。

 窓の外には、エストバキアの旗や広告があふれていた。メディアはエストバキア軍が優位であることを伝える。

 だが、エメリア軍がアネア大陸に上陸して以来、雲行きがあやしかった。まだ空中艦隊があるとはいえ、気は抜けない。

 徐々に後退する戦線を維持するため、シュトリゴン隊はいそがしいと聞いた。もちろん、パステルナーク少佐率いるヴァンピール隊も。

 おそらく彼は、ガルーダ隊と一度手合わせしたいと思っているだろうが、与えられた任務を放棄するわけにはいかない。個人の希望と戦局は、往々にして一致することが少ない。

 二機編隊(エレメント)だというガルーダ隊。一番機はどんなパイロットなのか。

 グレースメリア侵攻時のことを思い出す。炸裂する巡航ミサイル(ニンバス)に、エメリア軍の機体は逃げ惑っていた。そこを連携プレーで追い詰め、次々と撃ち墜とす。

 その中で挑んできた、あのF-16C。

 ニンバスの影響なのか、無線が混線する時があった。被弾した時に聞こえた「ガルーダ(ワン)敵機撃墜(スプラッシュ・ワン)」という声。

 彼こそが私を墜としたパイロットではないのか。

 彼は全機撃墜しようと思っていなかった。実際に私を墜とすと、すぐに西へ飛んでいった。

 指揮機を墜とせば、部隊からの攻撃の手が一瞬ゆるまる。そこに味方の逃げる隙が生まれる。おそらく彼は、それだけを狙っていた。

 国元で最終調整が急ピッチで進んでいるという例の新型機、ノスフェラト。それを相手にしても、あの一番機なら粘り強く耐えて、勝機を見出すかもしれない。

 けして諦めない姿勢には共感を覚える。ユリシーズと内戦で学んだ。苦難はいずれ終わる。諦めなければ、必ず夜は明ける。

 たとえ夜明けの光に照らし出されたものが、えぐれた大地と、建物の残骸と、死傷者だけだとしても。

 こうやって個人的にどれだけ分析しても、彼と空で会うことは二度とない。あの空で彼の戦いを見ることもできない。

 ただ地上から見上げるしかない寂しさ。

 また窓の外を見る。さっきのニット帽を被った子供が、警備兵の背中になにかを貼りつけようとしているところだった。

 

   4

 

 クォックス隊の奴が「ガルーダ隊、出撃!」と言って、人の戦車になにかを()る。ドニーが「あー!」と情けない悲鳴を上げてる間に走り去った。

「マクナイト、やられたぜ」

 ドニーが貼られたところを指差した。「なにされたんだ」と近寄る。

「グレースメリアで流行ってる、ガキどもの遊びだよ」

 ガルーダダッシュという悪戯なら、噂で聞いた。お世辞にもうまいと言えないガルーダ隊のエンブレムと、「Happy Valentine's Day!」という文字が書かれた紙がガムテープで貼られていた。

 その近くにもガムテープが貼られている。ガムテープの下には、なにか塊みたいなのが三つ。()がすと正体は正方形の小さなチョコだった。もちろん、肝心のチョコはちゃんと包装紙に包まれている。

 今日はバレンタインデーということで、特別に配って歩いているらしい。貼られた戦車のそこかしこで悲鳴が上がっている。接着剤じゃないからいいが……ガムテープでも腹が立つわな。

「なんでこんなのがここでも流行るんだ」

 チョコをガムテープから慎重に剥がす。一つはドニーに放り投げた。「うわうわ!」と言いながらキャッチする。

「おまじないみたいなもんだろ。これを付けてると、ガルーダ隊が優先して助けてくれるって話さ。弾除けにもなるってよ」

「そりゃ、おまじないじゃなくて迷信だ。空からこんな小さい絵が見えるわけがねえ」

 ガルーダ隊は一週間前のシルワート攻防戦で、一気に有名になった。戦場を駆けずり回り、押される味方を粘り強く支援して、諦めなかったらしい。

 おとといのセルムナ連峰でも、また襲ってきた特殊な巡航ミサイルにひるまなかったらしい。

 らしいらしい。

 思わずチッと舌打ちする。そんな奴らが俺らの頭上にいれば、市民が避難する時間を稼ぐために、激戦地に踏み(とど)まったサーベル隊のみんなは、死なずに済んだはずだ。

 だけどみんなには運がなかった。あれは一瞬の差。救援に来たヘリ部隊。確か俺が乗ったヘリを操縦してる奴は、イエロージャケットとかいった。そいつが俺たちを救い出したあとで、仲間がやられた。

 多分、俺とドニーとホブズボームは運があった。だからこうして生きてる。

 その運の良さが、ガルーダ隊のエンブレムを付けたからって強化されんのか? 剥がそうと思って紙をつかんだ。

「付けておけ」

 最初、誰が喋ったのか分からなかった。隣を見れば、ホブズボームが立っている。喋ったのはこいつだとようやく気づいた。

「弾除けになる」

 ホブズボームはそう言うと、チョコを奪って食べた。普段無口の奴が喋るなんざ、ガルーダ隊の威力はすげえや。

「……弾除けねぇ」

 紙から手を離す。

 これがあれば敵の弾は当たらないって? 向こうから避けてくれるってのか?

 魔除けならぬ弾除け。無料でもらった弾除けグッズは、どれくらいの効力があるのか。

「どうすんだ? 剥がすのか?」

 ドニーが紙にさわろうとしたので、「やめな」と肩を叩いた。

「そのおまじないとやらに期待しようじゃねえか。これを付けていたら、無事にグレースメリアまで行けるかもしれねえ」

「さっき迷信だって言ったのは、どこのどいつだ」

 横目でドニーがにらんでくる。

「おまじないだろうが迷信だろうが、利用できるものは利用するのさ。強運の持ち主にすがるのは悪かねえ」

「はいはい」

 ドニーは両手を挙げてホールドアップ。「好きにしな」と言う。

「ガルーダ隊には、まだ世話にならなきゃいけねえしな」

 明日は、港湾都市サン・ロマにあるカヴァリア空軍基地を奪い返す作戦の決行日。今は最終チェック中だった。

「サン・ロマじゃ絶対にやってやる」

 小声でつぶやくと、ドニーが「上陸戦の二の舞にならなきゃいいな」と余計なことを言う。

「このまま一緒に進軍したらどうだ? いつかはグレースメリアにたどり着ける」

「バカ野郎。俺はやると言ったらやる」

 ガルーダ隊が暴れれば暴れるだけ、戦線にほころびが出る。戦車が一台くらいこっそり逃げる隙も生まれる。

 うまくいけば、サン・ロマで戦争とおさらばできる。そうすりゃあとは、グレースメリアの中央銀行を目指すだけだ。戦況なんざ知ったこっちゃない。

 今は戦時下で、どこに行っても明日をも知れぬ命。どんなに賢くて強くても、運が悪ければ死ぬ。どれだけずる賢くて弱くても、運が良ければ生き残れる。

 どうせ死んでしまうなら残りの人生、好き勝手にやるだけだ。

 中央銀行に眠るお宝をいただくには、ガルーダ隊の活躍が必要不可欠。「期待してるぜ。ガルーダ隊」とガルーダ隊のエンブレムを叩いた。

 包みを開けてチョコを食べる。意外にうまいじゃねえか。

 

   5

 

 塩バニラ味のチョコを口の中に放り込んだ。今日はバレンタインデー。

 朝食を食べに食堂に行くと、スタッフが正方形の小さなチョコを一人一個ずつ配っていた。バレンタインデーだからと、特別に用意されたものらしい。

 でも全員分はなかった。食糧事情が良いとは、けして言えない。甘味は貴重品。

 そうなれば早い者勝ちで、あっというまに終了。チョコがもらえると聞いて、遅れてやって来た兵士の中には、終了の張り紙を見て嘆く兵士も少なからずいた。

 僕がもらったのは当然一個。ところがタリズマンは笑顔で「シャムロック。戦利品だ」と結構な量のチョコを持ってきて、何個かくれた。

 航空部隊の連中は、任務中に誰かに助けられることを借金にたとえる。その借金を帳消しにしてあげる形でぶんどっ…もらってきたということか。

「だからすみませんって謝ってるだろ!?」

 またスカイキッドが横を通り過ぎた。さっきからラナーに追いかけられているが、スカイキッドはすばしっこく、なかなか捕まらない。あちこちグルグル回って、また食堂に戻ってきた。よく体力が持つな。

「ウインドホバー。なんでスカイキッドはラナーに追いかけられているんだ」

「今、グレースメリアで流行ってる悪戯をやろうとして、ラナーの胸にさわった。それで追いかけられてる」

 海賊ラジオでDJが面白おかしく伝えていたガルーダダッシュという悪戯が、グレースメリアにいる子供たちの間で流行っているらしい。うちの娘もやっているんだろうか……。そこが気になる。

「隊長は止めないのか」

「こういう時は止めないほうがいい」

 そう言って、ウインドホバーはのんびりとコーヒーを飲んだ。「そうそう」と隣に座っていたセイカーも相槌を打つ。

「…でっ!」

 逃げ回っていたスカイキッドは、ようやく止まった。うしろから迫るラナーの動きばかりに注意を払っていたら、前から来たスティングレイにぶつかってこける。

「スティングレイ! そいつ捕まえて!」

 鬼の形相で命令するラナーに、スティングレイはとっさに従った。立ち上がって逃げようとするスカイキッドの首根っこをつかむ。スティングレイのところの隊員たちも、スカイキッドの両腕をがっちりつかんだ。

 追いついたラナーが、「もう悪戯する年じゃないでしょ!」とお説教を始めた。確かに二十八にもなって、これはなあ。

 スティングレイが「お前、なにやったんだ」とスカイキッドに話を聞いている。

「ラナーにガルーダダッシュをやろうと思ったんだよ。そしたら胸に…」

「さわったのか」

「事故だっ…ぐえっ」

 スティングレイはスカイキッドの首に腕を巻きつけて、スリーパー・ホールドをかける。……かわいそうに。

「じゃあ罰ゲームだな」

 満面の笑みを浮かべると、スティングレイは胸ポケットにあったペンを取り出す。スカイキッドの額になにか書き入れた。

「なにするんだ!」

「ラナー。こいつの顔にガルーダ隊のエンブレムを描いてみるか?」

「……それいいわね」

 ラナーはスティングレイからペンを受け取ると、あたりを見回した。こちらを見ると真っすぐ歩み寄る。

「シャムロック、ちょっと来て」

 手を捕まれるとぐいぐい引っ張られ、「そこにいてね」とスカイキッドの横に立たされた。どうやら腕につけてるワッペンを参考に描くらしい。ワッペンは以前、タリズマンが予備で持っていたのを渡された。

「なあスティングレイ、これはなんだ? 文字か?」

 半泣き状態のスカイキッドの額に書かれたものを指差す。

「それ? 文字だよ。こっちの言葉で肉って意味だ。昔に流行ったマンガの主人公が、額にそういう文字を書いていたらしい。当時は悪戯でそれを書く奴が多かったんだと」

 思わず吹き出す。真剣な顔で描いてるラナーから、「動かないで!」と注意された。

「はい、すいません」

 じっと黙って数分待っていると、「…よしっ」と満足げな笑みとともに、ラナーはペンのキャップを閉める。同時にスティングレイたちは、スカイキッドの拘束を解いた。

 左頬を見て、思わず笑ってしまう。ガルーダ隊のエンブレムが大きく描かれていた。

 みんなが代わる代わるスカイキッドに近寄っては、左頬を見て笑っていく。自分のところの隊長に向かって大笑いしたのは、レッドバロンとブルーマックス。スカイキッドは二人に向かって「裏切り者!」と叫んだ。

 事故とはいえ、他人の胸に許可なしにさわったのが運の尽き。

「ほら、これでも食べて機嫌を直せ」

 だけどあまりにかわいそうなので、小さなチョコを一つ渡した。

 

   6

 

 メリッサから「ルドミラ、チョコ食べる?」と渡された小さなチョコは、バレンタイン限定の商品らしかった。

 それでようやく、今日は二月十四日だと気づく。留学先のノルデンナヴィクを発ってから、日付の感覚が鈍い。

 グレースメリアを目指す旅も、今は休憩中。外に出て背伸びをしたり、お菓子を食べたり。こうしていると、エストバキアとエメリアが戦争しているなんて嘘みたい。

 でも、時々引っかかる検問が、戦争という現実を思い出させる。

 メリッサとはエメリア国内を走ってる時に、偶然出会った。エメリア人の彼女も、目指す場所はグレースメリア。最初は乗せるべきかどうか迷った。

 ——ラジオで娘の声を聞いたの。あの子はグレースメリアで生きてる。母親の私には分かるわ。だから、歩いてここまで来たのよ。

 なんて無謀なことをする人だろうと驚いた。下手すればエストバキア軍に捕まって、酷い目に()わされるかもしれないのに。

 そこまで考えて気づいた。私が今してることは、彼女と同じ。恋人に会えるかどうかの確証もないのに、ノルデンナヴィクからここまで来た。

 ペンダントにしてるペアリングは、エメリアとの戦争が始まる前にトーシャがくれたもの。戦争が始まったあとでも連絡は取れたけど、「こっちに来ては駄目だ」と言われた。

 ——まだ戦局が安定してない。君は無事な所にいるんだ。いいね。

 ユリシーズと内戦で、死は愛する人や親しい人たちを次々と奪っていった。別れの言葉すらない。

 あの時と同じように、私は悔やむんだろうか。軍人であるトーシャの死は、覚悟していてもつらい。矛盾する思いをかかえていても、悔やむのは嫌。

 いってらっしゃい。さようなら。愛してる。

 どれでもいいから、別れ際に区切りとなる言葉を伝えたかった。トーシャはグレースメリアにいると言った。そこに行けば会える。

 待つよりは動くべき。トーシャの忠告を無視して、医大に休学届けを出した。荷物をまとめてお金をかき集めた。実家とトーシャにはグレースメリアに行くことだけを伝えた。中古で買った愛車を走らせた。

 多分、メリッサも同じようなことを思って行動に移した。実際にグレースメリアに行って、会える確証はない。

 だけど会って確かめたい。あの人がいる街に行きたい。気配を感じ取りたい。今ここで動かなければ、あとで絶対に後悔する。そんな想いに共感した。

 そこから女二人の奇妙な旅の始まり。敵国同士の人間だけど、思ってることもやってることも変わらない。

 ——道はグレースメリアまで続いているもの。いつかきっとたどり着けるわ。

 それでもメリッサの度を越した思い込みに、なぜか安堵感を覚えた。メリッサは娘本人かどうか分からない声に、ずっとすがっている。そうやって壊れそうな心を必死に支えている。

 この狂信さを知っている。覚えている。ユリシーズという大災害、内戦という混乱で、何度も見た。酷いことはいつか終わる。絶対に家に帰れると信じることで、みんな頑張っていた。

「ねえルドミラ、これ()ってもいい?」

 突然、メリッサが冊子を広げて見せた。さっき立ち寄った店で、エメリア人の店主からパルチザンが発行する冊子をもらったらしい。そこにはガルーダ隊のピンボケしたエンブレムが写っていた。

「貼るって……どこに? エストバキアの軍服はないわよ?」

「車よ。さっきのラジオで、弾除けになるっていう噂もあると言ってたじゃない」

 首都で子供たちがやってる悪戯は、いつのまにか迷信の域にランクアップしている。少し悩んだけど、エストバキア軍に会うのは今のところ、検問の時だけ。

 次に検問がありそうな街はサン・ロマという所。大陸南部の大きな港湾都市らしかった。

「それなら…検問の時は()がしてくれると助かるわ。見つかると大変だから」

「分かったわ。ありがとう」

 メリッサは嬉しそうな顔で、ガルーダ隊のエンブレムを切り取った。助手席に座って車内を見回す。どうやら貼るのは車内らしい。

 今度は私が運転する番なので、運転席に座った。車の窓越しに晴れ渡った空を見る。この空をトーシャは飛ぶ。

 エメリア人はガルーダという航空部隊に希望をいだいている。ガルーダ隊の話題を耳にするたび、不安は大きくなった。トーシャが所属するシュトリゴン隊はエース部隊。間違いなくガルーダ隊と戦うことになる。

 無意識のうちにペアリングを握る。祈りが届くかどうかは分からない。それでもこの祈りが地上から空に届くよう祈った。

 お願いだからガルーダ隊、どうかトーシャとまだ戦わないで。ほんの少しでいいから待って。私はまだなにも伝えていない。

 車のエンジンをかける。その間にメリッサはガムテープをちぎり、ガルーダ隊のエンブレムと一緒に、助手席のグローブボックスの下の部分に貼りつけた。

 

   7

 

 ガルーダ隊の手書きのエンブレムをヤルダの背中に()る。使ったのはガムテープ。さすがに接着剤は悲惨だと思ったのでやめた。

「パステルナーク隊長、これは流行を追いかけたつもりですか」

 うまく逃げたつもりが、すぐにバレた。ヤルダはご丁寧にも紙を()がして持ってくる。

「流行は追いかけてこそ意味があると思わないか。デリャーギン中尉」

 真面目な顔で言ってみたが効果なし。大げさなため息をつかれる。ヴァンピール隊の良識人ヤロスラフ・デリャーギン中尉は、ほかの隊員よりもため息の数が多い。

「ほかの隊員にはやらないでくださいよ。特にチェシェンコ副隊長は怒りますから」

 両手を挙げて「了解」と降参のポーズ。それで納得したのか、ヤルダは紙をゴミ箱に捨てると部屋を出ていく。

 ……さて。次はうまくやるか。

 ゴミ箱からグシャグシャになったガルーダ隊のエンブレムを救い出し、それを元に新しく描き始めた。

 戦線が後退するたびに、ガルーダ隊の情報が耳に入ってくる。久しぶりに手応えがありそうな相手。だからといってすぐには戦えない。

 戦闘データを見てると、粘り強さがありそうだった。特に一番機は最後まで諦めていない。

 ヴォイチェク中佐は、「もしかしたらこの一番機が、私を墜とした相手かもしれない」と情報をくれた。巡航ミサイル(ニンバス)とシュトリゴン隊相手にひるまないとは、いい度胸だ。

 こんなのがエメリアにいたとは予想外。思えば国を壊したのも予想外の存在、ユリシーズという隕石だった。

 もし、この国の不幸の連鎖を終わらせるのがエメリアだとしたら。

 ユリシーズが落ちてきて以来、国ではずっと戦争が続いている。最初は小競り合い。次は内戦。残党の抵抗が続いて、今度はエメリアとの戦争。休まる時がない。

 軍事政権の『将軍たち』ですら止められない不幸の連鎖を、エメリアが止めたら皮肉だろう。

 なにせガルーダは金色の鷲。エストバキアの国旗にえがかれた鳥も金色。まるでなにかの符丁のような——。

 戦争が終わってほしいと思いつつ、ふと考える。社会に出てからは戦争しか知らない。空で戦うことに生き甲斐や居場所を感じる。

 そういう生き方に特化している。

 特化してしまった。

 もしそれがある日突然なくなったら、戦うことしか知らない人間に居場所はあるのか。平和な世界に、俺の居場所が。

 求めたものとは違うだろうが、多分ある。

 でも、それが不満でクーデターを起こすなんてバカはしない。みんな歯を食い縛って、ここまで必死に生きてきた。どうせ天国も地獄も定員オーバーに違いない。死ぬ時は一人で十分だ。

 ユリシーズが落ちてくる話がまだ他人事のように思えた時期に、基地の航空祭に行ったことがある。

 偶然隣にいた同年代の子はエメリア人だった。親の仕事の都合でエストバキアで暮らしたけど、そろそろ帰国するから、その前に行きたいと思っていた航空祭に来たと言っていた。

 彼とは撮った写真を見せ合い、空軍を目指しているという共通点を見出して意気投合。航空祭が終わったあとも喋り続けた。

 今からどんなTAC(タック)ネームにするかも考えていて、二人でああだこうだと、テレビや漫画のヒーローの名前をいくつも上げては、こっちがいい、あっちがいいと言い合った。

 彼はひらめいたように、お守り(アミュレット)はと言った。戦闘機パイロットなら似合うと思う、そこにいるだけで周囲の人たちに幸運をもたらす、仲間を守ると言った。

 似たような意味合いで、ほかにもタリズマン、チャームという単語を出した。

 そこで、自分がエストバキア軍のパイロットになったらそういうのをつけるから、君もエメリア軍のパイロットになれたらつけろよと言って、そうしようと約束した。

 彼と連絡先を交換することはなかった。話に夢中で、家に帰る予定の時間を盛大にオーバーしていたので、おたがい慌てて家に電話を入れて、そのまま別れてしまったから。

 名前すら、俺が教えたのは愛称のイリューシャだった。

 だからあのエメリア人がそのあとどうなったか知らないし、彼も俺がどうなったか知らない。

 彼の目が珍しかったことは、強く印象に残っている。一見すると深い青色なのに、光の加減で紫に見えた。まるで夜が明けていくような、不思議な目だった。

 もしかしたらガルーダ隊の一番機は君だろうか。

 せめて死ぬ前に君ともう一度、できれば空の上で会ってみたいが。

「さてと……」

 うまく描き上がったガルーダ隊のエンブレムを切り取る。ガムテープを貼って廊下へ。こちらに背を向けて歩いているアレクセイ・チェシェンコ副隊長発見。

「ガルーダ隊、出撃!」

 アリョーシャの背中にバシッと貼りつけて、全速力で逃げた。

 

   8

 

 子供の「ガルーダ隊、出撃!」という声とともに背中を叩かれた。振り向くと、子供が全速力で走り去っていく。近くに止めた車に近づいて、キーを取り出した瞬間の出来事だったので、呆気に取られた。

 エストバキアがエメリアに侵攻して以来、グレースメリアではストリートチルドレンが増えたらしい。彼らがエストバキア人の荷物を盗む事件が、よく起こっていた。

 買い物リストに書かれた品物は全部買ったあとだったので、盗まれたら泣く。慌てて買い物袋を確かめると、どうやら盗まれた物はないらしい。良かった……。

 安堵のため息をついていると、巡回中の警備兵が小走りで近寄ってきた。なにかに気づいたみたいで、「やられましたね」と言われた。

「荷物は取られていませんよ?」

「背中です。背中」

 車のウィンドウに背中を映して、「あーっ!」と叫んだ。鳥みたいなマークが描かれた紙が、背中に()られている。フライトジャケットにつけるワッペンみたいなものだった。

「それ、瞬間接着剤で貼っているんですよ」

 慌てて上着を脱いで()がそうとするけど無駄。制服にべったり貼りついている。

「最近、こういう手口が多くなったんですよ。エストバキアの軍服を見かけると、それを貼っていくんです」

 よく見るとなにかに似ている。「これ……ガルーダ隊?」とつぶやく。

「そうです。これはまだうまいほうですよ」

 警備兵は大きなため息をついた。エストバキア軍のラジオは、自由エメリア放送によく電波ジャックされる。そのお陰でグレースメリア市民も、ガルーダ隊の存在は知っていた。

 なぜかガルーダ隊のエンブレムも知っている。なんでだろうと思ったら、パルチザンが発行する冊子で知ったらしい。彼らがどこでそんな物を作り、どうやって流通させているのか。詳しいことはよく分からない。

 先日、敵を知るための資料として渡された冊子を見た。載っていたのは、山岳都市シルワートでの攻防戦で誰かが撮ったピンボケの写真。それでもなんとなく形は分かった。

 正直、冊子の紙も印刷の質も、いいとは言えない。

 だけどエメリア人たちは、これを夢中になって読んでいるらしかった。

「物を盗む時は、天使とダンスでもしてな。それを貼る時は、ガルーダ隊出撃! と言うんです」

 どうやら頻繁にやられているようだった。悪戯レベルでも毎回やられると悪質。犯罪と違わない。

 そんなグレースメリアの子供たちの姿は、かつてのエストバキアを思い出す。一九九九年の隕石ユリシーズの破片落下で起きた災害と内戦を通じて、多くの孤児が生まれた。生きることに必死だったあの時。

「どうします? 剥がしますか?」

「いいですよ。帰るところでしたから」

 警備兵は「ではお気をつけて」と敬礼すると、巡回を再開した。

 車のロックを解除して、後部座席のドアを開ける。荷物を次々と詰めて完了。

 運転席に座って、助手席に上着を置く。ポケットから買い物リストを取り出して、改めてチェック。コヴァチ少佐良し。ボグダノヴィッチ大尉良し。

 ようやく取れた休暇を利用して繁華街に行く。そう言ったら、コヴァチ少佐から「トーシャ。これを買ってきてくれ」と買い物を頼まれた。

 気軽に「いいですよ」と言ったら、それを合図に、なぜかみんなから買い物を頼まれる。はいはいと請け負ったら、結構な量だった。

 はっきり言って使いっ走り。…やれやれ。

 ふと、ガルーダ隊のエンブレムが貼られた上着を見る。

 今、シュトリゴン隊はガルーダ隊に思わぬ苦戦を()いられていた。部隊が苦戦した時、部隊の誰かが墜ちる時、必ず同じ空にガルーダ隊がいた。

 もちろん悔しいし、同時に興味も湧く。

 内戦時代は敵なしだったシュトリゴン隊なのに、負かす相手が実戦経験はなさそうなエメリアにいたなんて……まるでユリシーズ。国を大きく変えたものは宇宙から来た。それと同じ。

 ……こんなことを考えても仕方がない。もう一度買い物リストをチェックして、全部買ったことを確かめる。

 今度こそ帰るために車のキーを回した。偶然視界に入ったショーウィンドウ。ささやかだけど、いろいろなチョコが並んでいる。今日はバレンタインデーというのを忘れていた。今年はルドミラからチョコをもらっていない。

 今、ルドミラはどこにいるのか。突然「グレースメリアに行くから」という電話が来たと思ったら、その後はまったく連絡が取れない。大学には休学届けを出したらしい。

 実家には時々連絡を入れているみたいで、無事なのは分かった。それがせめてもの救いだけど、なんて無茶をする子だろう。

 彼女は少しずつグレースメリアに近づいている。ルドミラがこの街に着くまでは——。

 もう一度上着を見る。

 ガルーダ隊、俺は絶対に負けない。

 

   9

 

「そういう時は素直に負ければいいんだよ。そうすりゃ、お小言食らうだけで終わったのに」

 タリズマンはティッシュの箱をスカイキッドに渡した。今、スカイキッドの顔には、日焼け止めクリームがべったり塗られている。

「だからあれは事故だって」

 スカイキッドは今、首都の子供たちの間で流行っている悪戯をラナーにやろうとして、胸にさわってしまった。

 ところが謝る前に逃亡。さんざん追いかけられ、最終的にスティングレイにぶつかって捕まった。

 罰としてスティングレイからは額に肉を意味する外国の文字を、ラナーからは左頬にガルーダ隊の部隊マークを書かれた。しかも使われたのは油性ペン。

 皆から笑われたあとで、スカイキッドはタリズマンのところへ行った。彼はとにかくいろいろな物を持っている。その品々は作戦行動中にミスを犯した者の罰ゲームとして使われることが多いが、普通に役立つこともあった。

 スカイキッドに渡されたのは日焼け止めクリーム。半信半疑で顔にクリームを塗った。鏡を見ながら丁寧にティッシュでふき取ると、本当に落書きが落ちていたので、スカイキッドは「すごいな!」と驚いた。

「あとでラナーに会ったら、素直に謝るんだね」

 タリズマンはスカイキッドの背中をバンと叩き、部屋から押し出す。スカイキッドは「ありがとな!」と礼を言って出ていった。

 入れ替わるようにして、両手に大きな紙袋をかかえたシャムロックが戻ってくる。

「……本人がやってどうする」

「本人がやるから面白いんじゃないか」

 スカイキッドの背中で揺れているのは、ガムテープで()られた紙。ガルーダ隊のエンブレムが描かれている。あれは当分気づかないなとシャムロックは思った。

「それで、足りないぶん買ってきたか?」

 シャムロックは「ああ」とベッドの上に紙袋を置く。「これ、経費で落ちるのか?」と領収書をタリズマンに渡した。

「大丈夫、落としてみせる」

 苦笑するとシャムロックは「ダンボールは?」と聞いた。

「さっきスカイキッドが来たから、ベッドの下に隠した」

 のぞき込むと確かにあった。シャムロックはダンボールを引き出す。二人は紙袋からチョコの徳用袋を取り出すと、口を開けてダンボールに中身を移した。それを何回か繰り返して満杯にする。

 二人はダンボールを一箱ずつ持つと、ウインドホバーのところへ行った。ちょうど同じ部隊のセイカーも一緒にいる。

「すまないが、ちょっと手伝ってくれ」

 タリズマンに声をかけられたウインドホバーは、ダンボールの中をのぞくと嫌そうな顔をした。

「なあ。中に変なの混じってないよな?」

 タリズマンは「まさか!」と笑い飛ばす。彼が罰ゲームと称して使う珍品は、どのルートから仕入れるのか。とにかくよく持っている。こういうお祭りのような雰囲気になると、その珍品がバラまかれることがあった。

「全部普通だよ。僕が確かめた」

 セイカーが「シャムロックがそう言うなら確かだな」とさらりと言う。「信用度の差が、地味に傷つくね」という言葉とは裏腹に、タリズマンはにこやかだった。

「それで、なにを手伝うんだ」

「これをそっちの部隊でバラまいてくれないか」

「なぜ第十五飛行隊(うち)に頼む」

「俺が配ると、ものすごくあやしまれるでしょ。ここは、信用と実績のある隊長が率いる部隊に任せたい。食堂のチョコは早い者勝ちで消えたから、一部から不満が上がっている。これはまずいと思わないか?」

「明日は基地奪還だしなぁ。士気が衰えたら困るな」

 同じ航空団に所属する第二十八飛行隊隊長は「だろ?」と言い、第十五飛行隊隊長は「だな」と答えた。

「よし、ラナーを捜すか」

 ウインドホバーはガルーダ隊を従える形でラナーを捜しに行くと、運良くすぐに見つかった。スカイキッドを全力で追いかけたせいか、だるそうにしている。

「ラナー。チョコをバラまくのを手伝ってくれないか」

 ウインドホバーは声をかけると、ガルーダ隊が持っているダンボールを指差す。

「バレンタイン用のチョコなら、食堂にあったじゃない」

「全員分行き渡らなかったから、そのへんのフォローをしてくれ。隊長命令だ」

 ラナーは軽いため息をついたあとで、「仕方ないわね」と承諾した。床に置かれたダンボールの中身を見て、「一人ずつ配るの? 何個ずつ?」と聞く。

「いやいや。本当にバラまくんだ。食堂の特設テーブルでバンバン投げてくれ」

 タリズマンの答えに、ラナーは「…それでいいの?」と驚いたふうだった。「それでいいの」とタリズマンはくるりと振り向くと、「チョコが欲しい奴は今すぐ食堂に集まれ!」と大声で言う。

 その宣伝はすぐに広がった。兵士たちは自分の部署や仲間のところへ急いで帰り、緊急報告をする。

 ウインドホバーたちが食堂に着くころには、タダでチョコがもらえるからと、兵士たちでごった返していた。タリズマンは机や椅子を脇に避けるよう命令。特設ステージとして残されたテーブルの上に、第十五飛行隊の面々が昇る。

「チョコ投げるけど、みんな準備いい!?」

 ラナーはダンボールからチョコを何個かつかんだ手を挙げた。兵士たちは「バッチコーイ!」と合唱。

 「じゃあ頑張って取れよ!」とセイカーが言ったのを合図に、一斉にチョコが投げられた。バラまかれたチョコ目指し、兵士たちはジャンプ。遠くでは整備兵が「ラナー様こっち!」と叫ぶ。

 ガルーダ隊は集団のうしろに移動して、ちょっとしたお祭りを見守る。

「今年のバレンタインデーは派手だな」

 タリズマンは「そうか?」と、時折足元に飛んでくるチョコを拾っては、ポケットに入れる。

「前に話しただろ? 去年は娘から初めて手作りチョコをもらったんだ。娘は、いつかブランドものみたいなチョコを作ると言ったけど……」

 シャムロックは笑みを浮かべて語るが、そのあとの言葉が続かなかった。タリズマンは「実はこっそりブランドもののチョコを混ぜておいた」と、シャムロックに拾ったチョコを渡す。

 袋を見れば、確かに本物の高級ブランドのチョコ。思わずシャムロックは「これどうした」と聞く。

「ネット通販で頑張ってお取り寄せ。たまにはご褒美さ」

「罰ゲームになりそうな物だけ取り寄せていると思ったよ」

 アハハとタリズマンは笑うと、「それ、冷凍庫に入れておけば?」と言った。

「高いチョコだから、大事に食べろって?」

「グレースメリアの食料事情はあまりよくないみたいだから、それを持って帰ったら喜ばれるでしょ」

 シャムロックは袋を見つめると、「そうだね」と言って、大事にポケットにしまう。それからちらりとタリズマンを横目で見た。

 今日はバレンタインデーというほかにも、皆ピリピリしている。明日は重巡航管制機を墜とす足がかりを得るため、エメリア中部南岸にある港湾都市サン・ロマのカヴァリア空軍基地を奪還する予定だった。

 首都グレースメリアでも、アネア大陸中部の大山脈セルムナ連峰でも、特殊な巡航ミサイルが来るたびに逃げた。

 サン・ロマでもまた来るのではないか。自分たちは今度こそ、逃げることなく任務を達成できるのか。

 そんな不安をやわらげるため、タリズマンはこんなことを思いついたのではとシャムロックは思った。それに彼は、自分との過去の何気ない会話を覚えていたのではと。

「おいお前たち! なにを企画した。管制の連中がいないと思ったら——」

 ようやくゴーストアイが苦い顔で現れる。その時ラナーが「あっ!」と叫んだ。いいスピードで飛んできたチョコが何個か、ゴーストアイの横顔に直撃。すぐに「ごめんなさい!」とラナーは謝る。

 ゴーストアイは右手を挙げて無事だとアピールした。近くにいたシャムロックは「大丈夫か?」と心配したが、タリズマンは笑うのを必死でこらえている。

「……タリズマン。明日は管制なしでいいか」

 ムスッとした表情で言うゴーストアイに、タリズマンは「ママは怖いな」と笑う。スカイキッドが山岳都市シルワートでゴーストアイのことをママと言ったお陰で、彼をからかう際の定番文句になった。

 タリズマンの深い青の瞳が、光の加減で紫に変わる。悪戯っ子のようにきらりと輝いた。

「よし、ガルーダ(ツー)。ママのご機嫌を直すために、チョコを取ってくるぞ」

「了解!」

 二人は目の前の集団に突撃する。タリズマンは大声で宣言した。

「ガルーダ隊、出撃!」

 

END

 

   備忘録

 

脇キャラの解説です。

 

アルバート・ハーマン:6のムービーパートで登場。名前は着メロ・待受画面配信サイト「メロキャラ」で判明。

 

ゼッド:6のミッションとムービーパートで声のみ登場。自由エメリア放送のDJ。

 

アレックス・オライリー:6のムービーパートで登場。名前は攻略本で判明。

 

ラナー、セイカー:6の味方部隊の仲間。ウインドホバー(アサルトレコードNo.35)の部隊所属。

 

レッドバロン、ブルーマックス:6の味方部隊の仲間。スカイキッド(アサルトレコードNo.37)の部隊所属。

 

ヤロスラフ・デリャーギン:6ミッション15で登場。アサルトレコードNo.10。

 

アレクセイ・チェシェンコ:6ミッション15で登場。アサルトレコードNo.09。

 

ダリオ・コヴァチ:6ミッション09で登場。アサルトレコードNo.05。

 

カルロ・ボグダノヴィッチ:6ミッション04で登場。アサルトレコードNo.02。

 

   後書き

 

ラジオ君の名前と家と家族の状況は攻略本で分かるのですが、6は身近な悲劇をスッと差し込むように入れてきます。


 
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