No.1019488 ER509-1Eclipse 第2話橘つかささん 2020-02-11 00:07:34 投稿 / 全1ページ 総閲覧数:550 閲覧ユーザー数:550 |
「それじゃエクリプスがかわいそうです・・・」
意見を求められた佐藤しおりの声が広い会議室に吸い込まれる。
「水面君はどう思うかね?」
「難しい判断ですが、妥当だと思います」
「山澤君は?」
イブラボ幹部が会議に同席している技術工房の山澤浩司に質問を向ける。
「事情が事情ですから・・・やむを得ませんね」
「諸君同様、我々もこれが最適な対応だと考えている」
幹部たちは書類をまとめる。
「よって、ER509-1は表向きはラボに留置、当面は研修を続けるということになる。各所対応よろしく頼むよ」
何かを言いたげにしおりが口を開く。
「それから、ここでの会議は極秘となり、一切の書類は残さないので、各自守秘、よろしく頼むよ。以上!あと、法務と経理は保険対応と返金の手続きの確認があるから残って」
「承知しました。失礼します」
しおりは納得行かない感じがほとばしり出ているが、真理亞に促されて会議室を出た。
「うーん、なんだかなぁ・・・」
山澤が廊下をあるきながらつぶやく。
「人間だけ嘘とか秘密とか、そうやって都合のいい・・」
「佐藤、さっき上も言ってたけど、守秘ね」
「わかってます・・・わかってますけど・・・」
「技術工房、やることないのでもう定時で上がりますよ?あとは生体にお任せでいいですか?」
「ほら、またそうやって逃げる」
「働き方改革。じゃあ、お疲れ様でした。うちこっち」
山澤は廊下を曲がった。
「えくにはなんていうんですか?」
しおりが廊下の床を見つめながら聞く。
「さっきの話、聞いてたよね?」
真理亞は前を見つめて答える。
「聞いてましたけど・・・」
「じゃあ、そういうこと」
しおりが大きく息を吸って、一瞬の後、扉を開ける。
「えく・・・えく?」
しおりの目に映ったのは、不自然な格好で床に倒れているエクリプスだった。
しおりはすばやく駆け寄る。
「えく?えく!」
彼女の耳たぶからオプチカルケーブルが伸び、壁のネットワークコネクタにつながっていた。
「水面先生!」
しおりが振り返ると、水面は素早く内線電話をかけていた。
「佐藤、呼吸は?」
「自発呼吸、してません!」
「山澤先生、エクリプスが倒れました。そっちに搬送します。自閉モードに入っているようです。自発呼吸停止してるので機能維持装置のスタンバイ、よろしくお願いします」
「えく!えく!」
エクリプスは目を半分開いているが、その目に焦点はなく、プリセット位置の真正面に固定されているようだった。瞳孔も人工網膜保護のために完全に閉まって深い青色になっている。
と、眼球保護液が涙のように溢れ、伝う。
「佐藤、人工呼吸!ストレッチャーとってくる。排熱!」
「はい!」
しおりは彼女たちの機能停止対応処置は何度も経験済みだった。
建造されてまもなくはちょっとしたことでよく機能停止していた。
人工呼吸、と呼ばれる作業の方法は人間にするように、すこし上を向かせて鼻をつまんでいきをふきこむ。単にそれだけだった。
人工心臓は無拍動型のポンプなので、心臓マッサージなどはできないし、必要ない。
しおりはエクリプスの鼻をつまみ、口うつしで息を吹き込む。
まるで人間のような柔らかさと暖かさのエクリプスの唇がしおりの唇を押し返す。
こぽこぽと聞き慣れない音がするが、胸は膨らんだ。
そのまま口を離し、胸に手を載せて、そっと押す。
しおりは頬でエクリプスの吐息を感じる。
それは綿菓子のような匂いがほんのりとし、とても熱かった。
呼吸が停止してからだいぶ時間が経っているかもしれない。
と、こぽこぽと音がして、エクリプスの口の端から無色透明の液体が流れ出した。
少し泡立っているそれを、しおりは手で拭うと、そのままエクリプスの口に自分の口を重ねる。
そして、溜まっている液体を吸う。
薄い水飴のようなそれは、彼女たちの唾液にあたり、生体パーツの表面の保護液の役割を果たしている。
甘いそれは、無菌状態。
しおりは躊躇することなくそのまま飲飲み込と、再び息を吹きこみ、膨らんだ胸をゆっくり押す。
何度か繰り返すと同時に、エクリプスのジャケットのボタンを外し、ブラウスを脱がす。
キャミソール1枚になったエクリプスをバンザイさせ、白くなめらかな脇の下に触れる。
かなり熱くなっているが、それはクーラントの役割も果たす人工血液が滞留せずに流れている証。
人工心臓のポンプは動作しているようだった。
そこへ水面がストレッチャーを押して帰ってきた。
「技術工房へ!」
しおりは脇の下に手を突っ込む、水面はエクリプスの両足首を掴む。
「1、2、3!」
2人で同時に掛け声をかけ、エクリプスを乗せる。
しおりはエクリプスに横を向かせ、口腔の排液をうながす。
そのままよだれが垂れるように、保護液が糸を引いて流れる。
水面が素早くストレッチャーを押し、しおりが先導する。
「呼吸は停止していますが、人工心臓は動いているようです。呼吸による排熱に障害を起こしています」
技術工房の扉を開けると、そのままストレッチャーを滑り込ませる。
「えくどうした、ショックで倒れたか・・・」
準備完了した山澤が上を向かせたエクリプスに素早く挿管する。
そのまま人工呼吸器につなぐと、機械を作動させる。
エクリプスの美しく膨らんだ2つの膨らみが静かに上下する。
「もうちょっと排熱させたいな、しおりちゃん、スカート脱がせてくれる?おじさんちょっと抵抗ある」
「何くだらないこといってんの!」
水面はエクリプスの細い腰を浮かせるとスカートのホックを外し、脱がせる。
ストレッチャーの上にはパンティとキャミソールだけになったエクリプスが横たわる。
「さて、プローブつなぎますか。あれ、ここに来る前につないだ?ピアス片方ないんだけど?」
山澤はエクリプスの頭を持ち上げてストレッチャーの下に手を入れて探す。
「山澤先生、多分ここにはないよ。エクリプスが、自分で壁コンの端子板にオプチつないでて、倒れてたから、とりあえずオプチカルケーブル引っこ抜いて連れてきたから、多分あっちの部屋だね。佐藤、探してきて」
しおりは、ずっとエクリプスの手を握っていた。
「佐藤!サファイヤのピアスはクソ高いから探してきて!」
「あ、は、はい!」
水面に叱責されて我に返ったしおりは、エクリプスの半開きの目を閉じさせる。眼球保護液が涙のように流れたので、ハンカチでそっと拭くと、頭をなで、技術工房を出た。
「しおりちゃん、ガイノイドを人間みたいに扱うよね。大丈夫なのかな?」
山澤は陽電子脳用のプローブを起動させる。
「あんただってえくのスカート脱がせるのに抵抗あるじゃん」
「ネタネタ。ま、509は腰回りの作り込み、生々しいからね」
しおりは廊下にも何も落ちていないか確認しながら部屋に戻る。
ERシリーズは陽電子脳にアクセスするためのコネクタが耳たぶについている。小さなそれは3.5Φのオプチカルメタルワイヤ線だ。普段使わないその箇所、開いた穴を塞ぐためにピアスをつけている。501シリーズの標準は右が赤、左が青のプラスチック製。オプションで目立たなくなる肌色のピアスやシルバーもある。
509はカスタムメイドの高級志向なので、右の赤がルビー、左の青がサファイヤの宝石でできている。
それ以外の筐体価格もER501に比べるとER509は3億円ほど高い。
研修室の扉は出たときのまま開けっ放しだった。
エクリプスのブラウスとジャケットがそのまま乱雑に広がっている。
壁のコンセントにオプチカルケーブルが刺さったままだ。
彼女たちは自らオプチカルケーブルを使うときは、外したピアスを専用のケースに入れるように決められている。
部屋をぱっと見回した感じではピアスは落ちていなかった。
ジャケットのポケットを探ると、標準装備のピアスケースがあった。
開けてみると、きちんとピアスが刺さっていた。
「・・・あなた達は、そうだよね・・・」
彼女たちは人間ではない。
人間の女の子に似せて作られたガイノイド。
ただ、その性格はとても正直で、一度教えたことは決して忘れることなく、人間に嘘をつくことなく、常に人間の役に立ちたい気持ちを持つ。
人間よりも遥かに純粋で美しく、その姿はどこかしおりの琴線に触れるものがある。
陽電子脳のプローブが立ち上がり、様々なアプリケーションを読み込んでいる。
「ん?じゃあ、水面先生達が納品の話をする前にエクリプスは機能停止してたの?」
「そうなんだよね。壁コンにオプチ差したまま倒れてたから、まさか何らかのウイルスとか?」
「彼女たちの脳ハッキングできるウイルスなんて、今の人類の力では作れません。というか、なんでオプチさそうと思ったんだろう?」
「なにか知りたかったとか?」
「自分が取り残されている理由?」
水面はうなずいた。
「そこまで考えまわるかなぁ。彼女たち」
山澤はYNのキーを押して読み込むアプリを選んでいる。
「山澤先生はわからないかもしれないですけど、最後の一ヶ月間はもう本当の女の子みたいでしたからね・・・納品されず取り残された自分、その理由を知りたくて、ラボのデータにアクセスしたとか?」
「たった1年で?だとしたら、すごい進歩だ」
しおりが技術工房にもどる。
手にはエクリプスのブラウスとジャケットがあった。
「ピアスありました。決まりどおり、ジャケットの右ポケットのピアスケースに収まっていました。えくどうです?」
「うーん、いま、プローブ立ち上がったところ。どれどれ・・・」
3人が陽電子脳プローブの画面を覗き込む。
そこには陽電子脳の根幹をなすコア、その周りに最低限の機能維持のアプリケーションの起動が映し出されていた。
「自閉モードだね。なんで呼吸止まってたのかは、あ、これか・・バグかな。呼吸制御のアプリだけ再起動かけられたっけか」
山澤の指の動きに合わせサラサラとコマンドが流れ、呼吸制御のアプリの再起動が確認された。
山澤はCPAPを外すと、挿管された管を抜いた。
途端にエクリプスが激しく咳き込み、口から液体を吐き出した。
「おっとっと。ドレーンドレーン・・・」
山澤はあたりを探すが、間髪入れずしおりがエクリプスの口に自分の口をつけ、保護液を吸い取った。
「えっと、のうぼん、のうぼん・・・」
山澤が金属製の膿盆をしおりに差し出す。
「大丈夫です」
「よだれ、の、のんだ・・・」
山澤が唖然とした。
水面としおりが見守る画面で山澤が手早くキーボードを叩く。
「でだ、この陽電子脳の再起動のコマンドを・・・投げる!」
山澤がエンターを押す。
「はい、信号拒絶、受信しませーん!防壁硬い!」
「山澤先生、だめ?」
「コアにアクセスできないからね、再起動はコアから発放したいから、この防壁を突破できないと。ラボのコンピュータ総動員してもハッキングかけられないだろうし」
「こんな時、今までどうしてたんですか?」
しおりが聞いた。
「このコアが落ちたことなんてないし、コアの防壁がこんなに硬くなったこともないから」
「防壁、えくが展開してるってこと?」
水面はエクリプスを見つめながらつぶやいた。
「だろうね。うちらのアクセス拒んでる。コアもプローブからは落ちたように見えるけど、単に防壁に阻まれて見えないだけだから、ある程度は活動しているかもしれない」
「なにか治す方法はあるんですか?」
山澤は少し考える。
「呼びますか、とうとう、彼女を」
山沢のもったいぶったような言葉に水面はうなずいた。
山澤はデスクの内線電話を上げると、短縮番号を押した。
「防衛医科大学校病院ですか?こちらはイービーエルの山澤です。そちらの看護師の伊武れいをお願いしたいんですが」
「いぶれい?」
電話を聞いていたしおりが内容で唯一知っている言葉をつぶやいた。
「しおりは伊武れいっていうと、ER50のことを思い出すだろうけど、ERシリーズの試作品でER50から70までの5体のガイノイドがいるのは知っているよね?」
「はい。研修で勉強しました。50以外は会ったことがありませんが」
「その中の一人、ER55が、陽電子脳をデバックできる陽電子脳に設計されている唯一のガイノイド、ガイノイドの看護師なの」
「私、てっきりER55って、人間の看護用に設計されているものだとばかり」
しおりは研修で習ったことを思い出す。
一番触れ合っている可愛らしい女の子である愛玩用の50、その他に看護用の55、事務用の60、最高性能の70、その70の廉価版の65。それぞれその立場における求められるもののデータを集める試作機として10年前にロールアウトした機種たちだった。
その試作機達のデータを集めて建造されたのが次の世代の3桁シリーズ。特に需要が大きかった愛玩用のER50をベースにしたER501シリーズ、そのカスタムメイドのER509シリーズは、すでに今日納品されていった。
「明日?今日はシフト抜けられない?おけー。じゃ明日。10時によろしく」
山澤が電話を切った。
「シフト抜けられないってさ。というわけで、明日まで何もできません」
「じゃあ、今日はここまでで、上がりますか。あとは明日ということで」
水面は立ち上がる。
「あの・・・えくがなんで機能停止したのか、ちょっと調べていいですか?」
「残業禁止ね!いまから休憩時間ということにして、最後の30分を実働にして、あと2時間まで!」
しおりは真理亞のこの即決できる判断力がいつも頼もしいと思っていた。
「ありがとうございます!なにかわかったら明日報告します!」
しおりはぴょこんと頭を下げて、技術工房をあとにした。
「しおりちゃん、一人で行動させて大丈夫ですか?」
山澤が陽電子脳のプローブをログ監視モードに切り替えながら聞いた。
「子供じゃないんだから。それに、院卒飛び級2年の実力、そろそろ発揮されてもいい頃だとおもうし」
真理亞はエクリプスにシーツをかける。
「イブラボ期待の天才新人ね。水面先生、ひょっとしてエクリプス案件はまるっとお願いするつもり?」
真理亞は少し考える。
「しおりが次のステップへ成長するイベントになるかもしれないし、そうならないかもしれないし。さてどっちに出るかしらね」
しおりは暗くて寒いコンピュータルームで帰り支度をしているエンジニアを見つけると、夜勤担当を教えてもらった。
「夜勤担当の野口さんですね、私、生体の佐藤しおりです。ちょっとアクセスログを調べてもらいたい案件がありまして・・・」
しおりは野口の横にしゃがむ。
「場所は、生体の研修室で、そこからのアクセス、何を見に行っているか、わかりますか?えっと、時間はだいたい・・・」
しおりは時計をみる。
「生体の研修室、あ、大丈夫、1件だけだけだから、これだね」
野口は数回クリックする。
「これはえっと・・・納品書。機密でもなんでもないから、そっちのパソでもアクセスできるよ。ディレクトリ、送っておくから、入構証かざして」
しおりはカードリーダーに自分の入構証をかざす。
「佐藤しおりさんね。ログとディレクトリ、イントラで送っておいたから」
「ありがとうございます。助かります」
部屋に戻ると、ちょうど退勤する真理亞がいた。
「佐藤、おつかれ。警戒と施錠、よろしく」
「承知しました。おつかれさまでした」
真理亞を見送ると、しおりは自分のデスクに座りパソコンのカードリーダーに自分の入構証をかざすとキーボードを叩いた。
イントラで送られてきたディレクトリのファイルにアクセスすると、それはエクリプスの納品書だった。
納品先、納品者が空欄になっていた。
都内の会社社長が納品先だった記憶があるが、詳細は覚えていなかった。
しおりは記憶力には自信がある。一般的にはフォトグラフィックメモリーと呼ばれる記憶力で、画像的な記憶力を持っている。覚えようと思ったものはその対象が文字だろうが画像だろうが、風景だろうか、まるで写真を撮るように正確に記憶できた。
この記憶力のおかげで日本の教育システムにおいては天才的な能力を発揮することができたが、しおりはそれはなんの役にも立たないことを理解していた。
しかし、納品先のデータは全く覚えていなかった。
そもそもいつでも閲覧できるものだから、覚えようとする気がなかった、というのが正しい。
「んもー、肝心なときに、私って馬鹿」
備考欄に追記がある。
納品拒否 理由 デザインが気に入らない
「ああ、これね・・・」
しおりは納得した。
カスタムメイドのエクリプスはオーナーのオーダーに基づいて、綿密な打ち合わせを経て、デザインが決定され、生産されている。
デザインが気に入らないなんて話は、ありえない。
「私達、人間の都合・・・」
しおりは大きなため息をついた。
つづく
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コミティア130で連載を開始した作品の第2話になります。