No.1016491

恋姫†夢想 李傕伝 18

短め。
華雄さんが大変お強い小説を書くつもりだったのにいつの間にかスケールが大きくなって華雄さんがどっかにいってしまった。
終わりまでの構想は出来ているので後は書くだけ。
次はギャグテイストな恋姫二次かシリアスオリジナルを書きたいと思う今日この頃。

2020-01-19 18:11:32 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1501   閲覧ユーザー数:1442

 

『破竹の勢い』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 西涼軍が布陣する山に差し迫った蜀軍。厳顔は山を見上げて呟いた。

 

「旗は多いが人の数が少なくありゃせんか……?」

 

「明確な数は不明ですが、それなりの数を出したと報告がありましたが」

 

「偽の情報を掴まされたか?」

 

 雍州、ひいては西涼の主力は東に集まっており、雍州は手薄であるというのが全ての根幹にあった。だからこそ雍州を突いて東から援軍を派遣させる。

 そのため雍州がどれだけ数が少なくても驚くことでは無い。旗を多く立てて、軍の数が多いように見せかけるというのは良くある手法である。まして山上に布陣するともなれば、下からその全貌を見ることは出来ない為、さらに有効的である。

 しかし厳顔には極端に数が少ないように思われた。

 

―――本当に数が少ないか。あるいは何か策があるか。

 

 進むか止まるか。その決定は厳顔に委ねられていた。

 本当に数が少なく策など無ければ、警戒して留まった厳顔は将として恥をかく。数が少なく山上に布陣した敵を前に臆し、立ち止まった者として。

 逆にこれを攻撃したものの何か策があり、厳顔が撃退された場合、敵の策にまんまと引っかかった将としての謗りは免れない。

 とは言え厳顔は、対西涼に対する蜀の役割を十分に果たしていた。

 西涼の主力が雍州へ向けて援軍を出したという報告が、既に厳顔の元へ届いていた。

 

―――包囲して投降を促しているだけでも十分だが……。

 

 厳顔は今回の戦いに自ら名乗り出て進軍した。厳顔は益州を離反し劉備側に付いた将であった。

 良く言えば劉璋を見限った。悪く言えば裏切り者。

 王累は劉璋に忠義を尽くし、劉璋が劉備らを益州へと招こうとした行いを諫める為、自らを縄で縛り、門の上から逆さ吊りになって叫んだ。しかし劉璋がこれを聞き入れないと知るや、自ら縄を斬って落下し、自害した。

 張任は劉備軍に捕らわれても決して下る意志を見せず、最後まで忠義に生きて首を刎ねられた。

 そんな忠義の士らが居る中で、早々に劉備側に付いた彼女達はそれなりに負い目があった。

 だからこそ劉備に忠誠を尽くし、手柄を立てて認められようと考えていた。劉備らがそういうことを気にしていないということを知っていても、ある種それは彼女の矜持であった。

 さらに西涼軍が雍州内で布陣しているのならばともかく、蜀の領内に侵入し布陣しているという状況。

 これはいささか予想外であった。攻める予定であったのは蜀で、それを迎撃するのが西涼であったはずなのだが、蜀に西涼が侵入している以上、形的には蜀が侵略を受けている。

 であればこれは打ち払わなければならない。

 

「進むぞ焔耶。号令をかけよ」

 

「はい! 桔梗様!」

 

 厳顔は西涼を打ち破る事を選択し、軍を進めることにした。

 魏延の号令によって銅鑼が鳴らされ、兵士達は雄叫びを上げて山を登り始める。厳顔と魏延もまた、兵達に混ざり前へと進む。前へ、とはいうものの、急斜面の為山道を進むことになるので、山を回るように登っていく。

 距離は伸びてしまうが、真っ直ぐ進むのは不可能な山であった。

 山の木は、上へと進むたびに無くなっていたことに気が付いた。山上に布陣する際、柵などを作る為に伐採したのだろうと厳顔は思った。

 大量に立てられていた旗は、やはり見せかけの物であった。

 兵士が山を登って行っても抵抗は無く、矢の一つも降ってこなかった。

 

「やはり旗は数をごまかす為か」

 

 西涼は十分に兵を集められず、旗を多く立てて数をごまかそうとしているのだと彼女は踏んだ。

 実際、こうして蜀の進軍に対して西涼は全く抵抗も無く登山を許していた。

 

「進め! 敵の数は少ない。一気に打ち破れ!」

 

 魏延が巨大な棍棒を片手に叫びながら走り出す。兵士達はその姿を見て、彼女に続いていく。

 もう間もなく敵陣という所まで登り、突如として敵の反抗が始まった。

 丸太が転がってきていた。

 山上に布陣すればこれは必ずやるだろうという手法であった。

 蜀の兵士達は分かってはいてもやはり巻き込まれてしまうもので、最前列を走っていた兵士達が倒れ始める。とはいえ、これだけの数が密集していれば止めることも可能である。

 少人数で巻き込まれるのが最も危険だが、数が多ければ勢いのついた丸太も止める事は可能であった。勿論転がってくる丸太と衝突するため負傷者は後を絶たないが。

 丸太は断続的に転がされており、一度は何とか受け止めることが出来ても、その後に流れてくる丸太によって押される、という状況が続いていた。

 そんな状況を打破するために、魏延は颯爽と前に躍り出た。

 転がってくる丸太が魏延の目の前に差し掛かった瞬間、その獲物が振るわれ、丸太は小枝のように吹き飛び、明後日の方向に転がっていく。

 

「臆するな! 進め!」

 

 転がってくる丸太を魏延が切り払いながら進み、兵士達は勢いを再び取り戻し、山上を目指し進み始めた。

 西涼の陣営は、柵で四方を囲んでいた。小さな陣である。

 柵は大人の人間でも、柵に手をかけて登らなければならない程の大きさである。簡易的な砦のようでもあった。

 とは言えそれを律儀に上って侵入する必要はない。数さえいれば柵を引っ張り除去すれば良いだけの事。第一陣の兵士達が柵に手をかけると、内側から西涼の兵士が現れた。

 その手に握られていたのは、弓でも槍でもなく、柄杓であった。

 そしてその柄杓が横に振られると、ぱしゃと液体が兵士達に直撃した。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」

 

 誰かの叫び声が上がり、続く兵士達も叫び声を上げて怯み始めた。

 よくよく見れば柵の内側には大きな甕が幾つも置いてあり、全てに火がくべられていた。

 

―――ちっ……熱湯か。

 

 柵を除去して中へ入れば一瞬で終わるということは、兵士達も分かっていることである。しかしこうして熱湯をかけられれば嫌でも柵から手を離してしまうもの。槍や弓のように一人に対して致命的な一撃を与えるのではなく、ぶちまけられた熱湯は広範囲に至る為、柵の除去が遅々として終わらない。

 さらに、相手が少なく陣が小さいということも、相手方へ有利に事を運んでいた。いかに数が多く囲むことが出来たとしても、陣が小さければそこに接触できる兵士の数は少ない。

 ぱしゃぱしゃとあちこちで柄杓が振るわれ兵士達は立ちすくむ一方であった。

 だが甕の大きさや数からして、さほどこれは続かないであろうということは察せられた。

 もう間もなく終わだろうと魏延が踏んだ瞬間、昼間にも関わらず松明を手にした少女が姿を見せた。

 

―――あれが指揮官の……誰だ。

 

 鄧艾。陳泰。杜預。この三人の内の誰かであることが察せられたが名前はわからなかった。

 しかしなぜ松明を持っているのか。

 

―――まさか、熱湯じゃない……?

 

 嫌な予感が魏延の脳裏によぎった。

 今蜀の兵士達にかけられている物が、もしも熱湯ではなかったとしたら。

 

「全軍退け! 燃えるぞ!」

 

 少女が松明から手を離すと、一気に火の手が燃え広がった。

 西涼がぶちまけていたのは、熱した油だった。

 人も、地も、草も、油が撒かれた箇所が一斉に燃え広がり、山の木々へと伝染していく。

 兵士達のうめき声が、山に木霊していく。

 

「これが、人のやる事か……!」

 

 全身に火が付いてしまった兵士は助けを求める様に走り始め、他の兵士にぶつかればその服に火が燃え移っていく。

 兵士達の装備は、布製の長袖の服の上に鎧を着ており、腕や服の裾等は鎧から服がはみ出ていた。そのため彼等にもあっという間に火が伝染していく。ましてこうして山道を密集して移動していた兵士達である。逃げ場が余りにも少なかった。

 山上は一瞬にして地獄と化していた。

 大規模な山火事になることも厭わず付けられた火は、次第に燃え広がっていき、兵士達の混乱を大いに煽っていた。

 

「桔梗様! 撤退の―――」

 

 魏延が後ろを振り返り、厳顔に指示を仰ごうとした時、蜀軍の後方から近づいてくる一団が目に入った。

 銅鑼が喧しく叩きならされ、蜀軍の背後から攻めてきている。

 西涼の別動隊が、背後から迫ってきていた。

 

「桔梗様!」

 

「焔耶、一気に駆け降りるぞ!」

 

 進めば炎。戻れば多くの敵兵。どちらに進むべきか、魏延は指示を仰ごうとしたが、その先手を打って厳顔は言い放った。

 

「はい!」

 

 魏延は得物を握りしめ、慌てふためく兵士達を押しのけて最後列へと走った。

 

「動ける者は付いてこい! 止まれば死ぬ。それを忘れるな!」

 

 魏延が先陣を切って走り始めると、西涼の別動隊の先頭がどん、と爆ぜた。厳顔の武器―――豪天砲である。爆発物ではないが、地面に突き立てばその威力によって衝撃が地と共に人を吹き飛ばす。

 その一瞬の怯みを魏延は逃さなかった。

 魏延が敵陣に切り込みを入れ、そこへ蜀軍の兵士が殺到し、道を切り開いていく。

 山道は細く長く、長蛇の列となった敵陣の中間に差し掛かった頃であった。

 魏延は一層大きい殺気を感じて反射的に得物を振るった。

 ぎん、という大きな金属音が鳴り響き、魏延の薙ごうとした得物が衝撃と共に止まった。

 いや、止められた。

 いや、止めることが出来た。

 魏延へと振り下ろされたのは細身で、僅かに剣先が湾曲している不思議な武器であった。

 魏延の得物は長く太く、重量のある巨大な棍棒である。

 これは当然斬る物ではなく、叩き、砕く武器。鈍器の強さというのは相手の武器や重厚な鎧を粉砕し倒すという所にある。

 だが今、その細身の剣は折れることも無く魏延の得物とせり合っていた。

 

「お前が、大将の鄧艾か!」

 

 己の武に自信があった魏延は、先程放たれた殺気や、こうして魏延の腕力に追随する相手が将であると確信していた。

 しかし、返された答えは全く違うものであった。

 

「拙者は三姉妹が次姉、陳泰でござる!」

 

 陳泰。大将ではないものの、西涼の将であった。

 

「止まるな焔耶! 進め!」

 

 厳顔の声を聞き、魏延は一騎打ちを申し込みたいという気持ちをぐっと抑えた。ここで将を討ち取れば、負け戦にも多少なり花を添えられるというもの。

 

「くっ―――」

 

 魏延は思い切り足を振り上げ、陳泰と名乗った将の腹を蹴った。

 倒れはしないものの、陳泰はあとずさり、距離が離れた。そして、魏延は迷うことなく背を向けて西涼の兵士へ向かって駆け出した。

 

「蜀の将ともあろう者が逃げるでござるか!」

 

 背後からの罵声に、魏延は獲物を握る力を強めた。

 口を開けば感情が溢れて陳泰へと襲い掛かるであろうと思い、硬く口を閉ざした。

 魏延と厳顔の一団が西涼の兵を薙ぎ払い、最後尾を抜け切る瞬間、何か異質なものを感じ取った。

 魏延が視線を向けると、馬に乗った女がそこには居た。

 年齢は厳顔や黄忠と同じくらいの女性。髪は長く鬱蒼と伸びていて、余り手入れがされておらず、だらしない印象を受けた。

 鄧艾か、杜預か。

 間違いなく将であると確信した。

 だが、今は戦う時ではない。己の武将としての心を抑え込み、振り切るように走り続けた。

 

「焔耶。よう堪えた」

 

 完全に西涼の軍を抜けると、厳顔が傍に来て言った。魏延は悔しさから目じりに涙をうっすらと浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「燃えすぎなのです! 私も燃えてしまうのです!」

 

 鄧艾と陳泰は山上に残った杜預に合流するため山を登ると、杜預が小さな体をわたわたと動かしながらそんな風に叫んでいた。

 

「これ以上燃えないよう木を伐採するでござる!」

 

「け、け、煙を吸い込まないように」

 

 二人が支持を出すと、兵士達はすぐに作業に移った。

 燃えている木はどうしようもなく、水をかけても消火できないであろうし、何より飲み水がもったいなかった。そのため次に火が移るであろう木を先回りして伐採し、自然鎮火を待つ他なかった。

 

「それにしても思い切って火をつけたでござるなぁ……」

 

 目の前で行われている火の後始末を見ながら陳泰は呟いた。

 杜預は五百の兵で敵の注意を引き、持ちこたえると言った。何をするかを聞いていなかった陳泰はこの惨状を見て感嘆するしかなかった。

 これだけの炎。一歩間違えれば杜預達が火に巻かれて死んでしまうことも十分あり得たのだ。

 

「火はえてして上へ向かうものなのです。でも、火は移りやすい方へと流れる生き物でもあるのです。油は火の流れを誘導し、望む方へと火を移動させればよいのです」

 

「しゅ、しゅ、周囲の木にもあらかじめ油をまいたの?」

 

「なのです!」

 

「なるほど。その油へ向かって火が走り、自分達が燃えないように誘導した、と。ううむ。これが軍師に抜擢される者の知恵でござるか。拙者には思いもつかないでござる」

 

 三人はしばらく寄り添いながら会話をして、作業が終わるのを待った。

 そして火が完全に鎮火し、どこにも燃え移りが残っていないかを確認できたのは、もう夜の事であった。

 

「さて、では戻るでござるか」

 

 陳泰は作業終了の報告を聞き、撤収の号令をかけようとした。

 

「大姉様。小姉様。聞いて欲しい事があるのです」

 

 それを止めたのは杜預であった。

 二人は小さな彼女を見ると、杜預は唇をきゅっと結び、意を決したように二人の瞳を交互に見つめた。

 

「私は此度蜀軍を打ち払ったに終わらず、蜀の本拠地である成都攻略までが私達のやるべき事であると進言するのです」

 

 その言葉に一番驚いたのは鄧艾であった。

 

「せ、せ、成都まで攻め入ると?」

 

 杜預はその言葉に言葉を返さず、二人に背を向けて歩き出した。彼女に付いていくと、山の木々の合間に竹林が広がっていた。

 杜預は竹林の一本の竹に寄るなり、身の丈に合わない一般的な剣を引き抜いた。

 彼女の筋力ではどうやら重すぎるようで、両手で握り、鼻息を荒くして持ち上げていた。

 

「そいやー、なのです!」

 

 そして思い切り横へ薙ぎ、その剣は竹に接触すると、がっという音を立てて竹に食い込んだ。

 

「ふんぬー! ふぬぬ……!」

 

 食い込んだものの引き抜けなくなってしまったようで、杜預は足を竹にかけて懸命に引っこ抜こうとしているが、まるでびくともしなかった。

 見かねた鄧艾が彼女の元へと寄ると、杜預は素直に鄧艾にその剣を預けた。

 日頃全く訓練をしていない鄧艾であったが、流石は大人と言うべきか、彼女は簡単に竹に食い込んだ剣を引き抜いた。

 

「あの、この竹を切って欲しいのです」

 

 理由はわからないが、鄧艾は言われるまま杜預の剣を使って竹へと振った。

 そもそも人を斬る為に研がれた剣であるので、竹は簡単に両断された。

 

「ここから! ここからが見ていて欲しいのです!」

 

 杜預は竹を斬れなかったことが恥ずかしかったのか、少々赤面して早口にそう言った。

 そして鄧艾から剣を受け取ると、両断され、残った竹に今度は上から剣を振り下ろした。再び剣は竹に食い込んだが、今度は杜預が自ら剣を引き抜いた。

 

「蜀は竹なのです。私が力一杯薙いでもびくともしない竹。ですが、私達はこうして竹に切り口を入れたのです。そして―――」

 

 杜預は剣を振り下ろして出来た切り口に両手を添えた。

 そして彼女が両手に力を籠めると、竹は左右にめりめりと音を立てて割けた。

 

「一度切り口が付けば力の無い私でもあっという間に割くことができるのです。これぞ破竹の勢い! 私達は今この勢いで以って、一気に蜀を滅ぼすのです!」

 

 陳泰は思わずほう、と声を漏らした。

 だが、鄧艾は表情を渋くする一方であった。

 

「わ、わ、私達の役目は雍州へ侵攻する蜀軍を打ち払う事。そ、そ、それだけのはず」

 

「いいえ。私達は己の失態を挽回しなければならないのです」

 

「……東の状況でござるな?」

 

 陳泰の言葉に杜預は頷いた。

 

「姉上。自分は笋に賛成でござるよ」

 

「せ、せ、石蒜まで……」

 

「拙者達は馬岱様の配下。そして馬岱様は西涼の臣でござる。雍州が攻められるという報告に、遠く東の西涼の本隊から援軍を出させてしまったのでござる。これにより戦力の分散を招き、西涼が戦に負ける可能性すらあるでござる。云わばこれは、拙者達に防衛の力が無いと判断されたが故。拙者達は、その敗北を払拭するだけの戦果を挙げなければならないでござる」

 

「せ、せ、戦力が余りに乏しい」

 

「私達は羌からの援軍。そして東からの援軍の到着を待っている状態なのです。到着までに私達はこのまま進めるだけ先に進み、合流の後蜀を獲る事こそ最善なのです」

 

 現状僅か二万の兵しか居ない鄧艾ら西涼軍。

 にもかかわらず、杜預と陳泰は蜀攻略の為に進軍すべきと言う。

 

「蜀は建国後まもなく、戦をせず内政に重きを置きたい時期なのです。まして五斗米道ら民を敵に回し、他国との戦など出来る状況ではないのです。なればこそ、私達は今これに対し進軍し、この益州を獲る最高の好機なのです!」

 

「そ、そ、それは流石に独断専行じゃ……」

 

 馬岱に総大将として任命されてはいるものの、その役目は雍州へと向かってくる蜀軍を打ち払うことにあった。

 蜀攻略というのは鄧艾に任ぜられた職務ではない。

 文官の間で独断専行という行いは、殆どない。というのも、基本的に馬岱を頂点に据え、重要な処理すべきことはそちらに回されており、万が一馬岱を差し置いて処理を行ったとしても、それはすぐに馬岱によって修正される。当然、彼女から長い時間説教という名の恨み言を聞かされるのだが。

 しかし軍事において独断専行は禁忌ともいえる。

 例えどれだけそうすべきであると判断され様とも、上が否と言えば否である。鄧艾らがもしも戦功をあげたとしても、処罰の対象になる。

 それは将らが、己の手柄を立てるべく割れてしまうのを防ぐ為でもある。

 

「姉上。今が決断の時でござる」

 

「私達と共に蜀を獲るか、戻るか。大姉様の言葉一つなのです」

 

 鄧艾は二人の言葉に口を閉じた。

 全ては鄧艾の一言で決まるのである。行くか戻るか。

 その決断は余りにも重い。

 二万という軍勢は少ない。少ないと言えてしまうのは、今この大陸で行われる戦が小規模ではなく大規模なものであるからだ。何十万という規模で軍が編成され、何万という人々が死んでいく世の中。しかし、一個人の判断により二万の命を背負うというのは、余りにも大きい。それだけの人々の命を背負い、生死をかけて一大決戦に向けて動く決断をするのは、難しい事であった。

 だが、迷う鄧艾の手を取る者達が居た。

 陳泰と杜預は彼女の傍へ寄り、その両手をそれぞれ取り、握った。

 

「姉上。拙者達は三人で一蓮托生。背負う重さもまた、三人で共に分け与える物でござる」

 

「大姉様。今が好機なのです。蜀を獲る事ができるのは今だけなのです!」

 

 鄧艾は二人の言い分をしっかりと理解していた。

 雍州に蜀を打ち払う力があると判断されていたのなら、東から援軍が送られてくることは無かった。

 こうして杜預の献策によって蜀を簡単に追い払ったとはいえ、援軍は既に出されている。東が軍を分けてしまったという事実はもう覆せない。

 西涼が負けるということは、大陸の統一に一歩後退する事を意味する。

 鄧艾は西涼が目指す大陸統一そのものに興味は無かったが、西涼の治める地は好きであった。

 異民族も漢民族も関係なく、師事の有無や家柄ではなく実力によってどこまでも上り詰められる。鄧艾が望んだ国が、雍州がそこにはあった。

 雍州は西涼ありきの地。西涼が魏呉に完全敗北し、崩壊すれば雍州も変わってしまうだろう。

 それだけは、絶対に阻止しなければならない。

 

「……わ、わ、わかった。い、い、行こう」

 

 陳泰と杜預は笑顔を浮かべて頷いた。

 

「わ、わ、私達はこれより、て、て、定軍山を目指す!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 定軍山は蜀の中でも漢中と呼ばれる地域に存在している重要な拠点であり、砦のある山の一つである。

 今までこの漢中は張魯が実質的な統治者であった為、蜀の拠点では無かった。しかし来るべき西涼との戦いを前にして、この地は蜀が手にしなければならなかった。それだけ重要な拠点でもある。

 蜀の東は呉の地であるが、密勅によって連動する魏呉蜀は今の所敵ではない。よって蜀が重きを置くのは北からの南下に対する備え。

 まして五斗米道が西涼と親しいともなれば、西涼の進軍に合わせて蜂起されると大変厄介なことになる。獅子身中の虫とはこの事であった。

 五斗米道が蜀からの撤退勧告に素直に従ったのは、劉備らにとって幸いであった。

 漢の為に民を手に掛ける。どうしても避けられないとしても、それだけはやってはいけないと劉備は強く言っていた。

 

「情けないもんじゃのう……」

 

 そうして手に入れた漢中に、定軍山の砦に戻って来た厳顔は誰に言うでもなく呟いた。

 

「桔梗!」

 

「紫苑か……」

 

「無事でよかった……」

 

 砦の指揮をとっていたのは黄忠であった。彼女は笑顔で厳顔を迎えたが、厳顔の顔は渋かった。

 

「御館様と桃華様の為にと思ったが、負けた。この首だけで済めば良いが」

 

「ご主人様達はそんな事を望まないわ。さ、早く休みましょう」

 

 厳顔は促されるままに素直に従おうとしたが、ふと気が付いた。

 黄忠が少し焦っていることに。

 

「何が、あった?」

 

 厳顔の問いに黄忠は口を開いた。

 

「西涼が、本格的に南下してきているわ」

 

「まさか!」

 

 厳顔はいよいよもって顔を青くした。

 本来ならば失わなくてよかった兵士。本来ならば拮抗させられた戦況。それが一度敗北したことによって西涼が勢いをもって攻めてきているのだ。

 それが自分の失態であり、余りにも致命的であることを悟った。

 

「紫苑。焔耶だけは……焔耶だけは何とか助けられるよう口添えをしてもらえんか」

 

「責任を取って死ぬ覚悟をするのなら、生きて、勝って恥を雪ぎなさい。ただ命を捨てるだけが忠誠ではないはず。それを、貴方は良く知っているでしょう?」

 

「……」

 

「張任さんも、王累さんも、忠誠を尽くして死んでいったわ。でも、生きて蜀の為に力を振るう。貴方はそう決めたはずよ」

 

「そう……だな」

 

 黄忠の言葉に厳顔は頷いた。

 その顔に先ほどまでの暗いものは無かった。

 

「砦の守りを固めましょう。援軍要請はもう出してあるわ。必ず、持ちこたえましょう」

 

「……うむ」

 

 西涼の将―――鄧艾、陳泰、杜預。

 厳顔はさきの戦で嫌と言う程彼女達が無能では無い事を思い知らされた。

 今まで数多くの戦いに身を置き、その全てに対し真摯に、そして命を懸けて戦って来た。しかし心のどこかで甘えていたのも事実であったと厳顔は思った。

 無名の大したことのない将達。そう思っていたのかもしれない。

 

「次は、無い。負けられぬ!」

 

 

 
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