「切り花と有人宇宙船」
季節が進んで秋が深まった頃の、冷えて澄み切った十月中旬の早朝。
仄暗い灰色から段々と薄明るい水色になり掛かっている、午前六時半。
海の入り江近くの、少し都会の方の地区の町。
外周りの側道に沿った生け垣のあちこちで金網越しに繁みの枝葉が食み出ている、公立の小学校。
未だ車の通りが殆ど無い早い時間帯の、校門前の交差点。
横断歩道の向こう側で信号機の赤が変わるのを一人で待っている、四年生の女子児童。
※
既に革の色がくすんで光沢も鈍くなった上蓋の、彼女のランドセル。
横の留め具から吊り下がって背中の左右を交互に行ったり来たりしている、給食袋とそれより少し大き目の体操着入れ。
明け方等はもう相当寒い筈なのに薄手の夏服の儘の、彼女の衣替えの間に合っていない制服ブラウス。
半袖の袖口から伸び出ている、肘から先の痩せて細長い腕。
回って来た学級当番の日の、彼女の朝一番からの仕事。
教室の後ろの花瓶の中が枯れていたので差し替えようと手の先に持って来ている、古新聞に包んだ瑞々しい緑と数色の束。
※
道路を渡って反対側に辿り着いた途端の、彼女の鼻腔内へ流れ込み始めた清々しくも何処か饐えた感じのする甘酸っぱい匂い。
通り沿いの植え込みの中でそれだけ違う種類になっている、一本の樹の黒ずんだオレンジ色の花の細かな点々。
鍵の開いた小さな通用門を潜って校内へ入ろうとした途中でふと斜め上を仰いだ時の、彼女の視線の先。
ガラスパネルの様に薄く半透明な群青色の東の空に浮かんでいる、消え掛けの白い衛星。
その肉眼が瞬間的に繋げた地上と数百キロメートル先の周回軌道上の、彼女の視界内を動く異物。
天然物の不完全な円の縁を掠めて短い距離をじりじりと直進する、パールピンクの曙光を受けてくっきりと立体的に確かめられる芥子粒位の微細な陰影。
何かとても珍しい物を見たという事位しか理解出来無かった程度の、彼女の幼い頭脳。
沢山の大人達の創意と最先端技術とによって何度も宇宙に送り出されている、工学知識の結晶の鉄製人工物体。
生まれてから十年と丁度百日目のその日も始まる筈の、彼女の日本の小学生としての何の変哲も無い日常。
数十万年も前に踏み出された第一歩からずっと止まる事無く続いている、英知と愚かさの入り混じった人類の未来。
終わり
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現代詩です。以前、某文芸誌の投稿コーナーで不採用になった物に加筆して違う作品に作り直しました。
※一部改訂しました。('20,2,13)