No.1010447

恋姫†夢想 李傕伝 8

華雄さんが大変お強い小説。
個人的にはギャグ回。

ウィットに富んだジョークというのを目指していますが正直難しい。
郭嘉が何やらとんでもないことを言った気がするけど気にしない。

2019-11-17 15:51:24 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1175   閲覧ユーザー数:1134

『競馬』

 

 

 

 雍州へと戻って来た李傕ら一行を出迎えてくれたのは、一人雍州で政務を行うために留守番をしていた馬岱だった。

 

「皆さんお帰りなさい! でも次はたんぽぽも連れて行ってね」

 

 彼女は李傕らの帰還の報を聞き、居城の門で待っていた。

 馬岱は李傕を越える武を持っていながら、兵の指揮が出来、さらに文官として政務の仕事も出来るという大変器用な人物で、留守を任せるには大変適任であった。その為今後も彼女に雍州を空ける際には留守を任せようと思っていた李傕は少し言い淀んだ。

 

「あ、ああ。そうだな」

 

 やったー、と喜ぶ彼女を見ると少し罪悪感が胸に広がる。

 

「それでね。お兄さまに一つ謝らないといけないことがあるんだけど……」

 

「それは?」

 

「えっとね。お兄さまとお姉さまの結婚の話があったでしょ?」

 

 李傕はそんな話もあったなぁと思いだした。李傕が雍州を手に入れられなければ、馬超と結婚して涼州を継ぐという話。

 今となっては話が上手い事進み、馬騰の計らいによって李傕は雍州と涼州の二つを合わせた、西涼という国を手に入れた。

 となれば結婚の話も御流れ、ということになるのだが。それが一体どうしたと言うのか。

 

「あのお話、治無戴さんにしちゃった」

 

「は?」

 

 素っ頓狂な声が喉の奥から飛び出た。李傕の普段の声より上ずった、高い声が。

 馬岱はてへっという声と共に舌を出し、頭を拳で小突くような仕草をした。普段ならば可愛いと感想を述べる所だが、こんな状況下にあっては憎さ百倍。そしてそれ以上に李傕は顔を真っ青になり、足も心なしか震えている。

 

「まさか、撈が……来ているのか?」

 

「そう。そのまさかよ」

 

 李傕に向けて発せられたその声は、華雄の次に聞きなれたものだった。

 治無戴。羌を統べる長であり今氐へと侵攻し、ここには居ないであろう人物。

 

「撈」

 

「久しぶりね底。それで? 翆との結婚とはどういうこと?」

 

 彼女は大変笑顔であった。満面の笑みといって良い。しかし、しかしその両手には剣が握られていた。治無戴が扱う、剣先の長い一対の剣が。

 

「それは、碧殿が―――」

 

「御館様に請われ、娘を嫁に出しました」

 

 何を言っているんだこいつはと李傕は馬騰を睨んだ。どこにもそんな話は無く、全くの荒唐無稽。しかしそれは油に火を注ぐが如く。彼女の言により治無戴は一歩を踏み出し、李傕はそれを見て一歩下がった。

 

「翆も何か言って―――」

 

「請われてよ、よよよ嫁にって! お前、裏で母様にそんなことを……」

 

「えっ」

 

 馬超はと言えば何故か顔を赤くし、声は次第に尻すぼみになっていく。その隣にはいつの間にかそこへやって来たのか、馬岱がにやにやと笑みを浮かべながら馬超の顔を覗き込んでいた。

 

「五胡と漢を統一したら結婚をしようと約束をしたにもかかわらず、それよりも前に別の女と結婚? 随分と良い御身分になったものね? 底」

 

「違う! 話せばわかる! 華雄! お前からも何か言ってくれ!」

 

 そう言って居並ぶ臣下の中から華雄を探したが、すぐには見つからなかった。よくよく見れば、一人だけ集団から離れた場所に彼女は居た。

 それはもう満面の笑みであった。対岸の火事とは実に見物しがいのあるものだと言わんばかりである。

 

「前に言ったな。追い掛け回されて逃げ回れと」

 

「この―――!」

 

 裏切り者、という声が出る前に治無戴が地を蹴った。

 李傕は最早、ひたすらに走る以外の行動を持ち得ていない。背を向け、腰に佩いていた剣を投げ捨て、身軽になりひたすらに走り続けた。

 華雄の笑い声が大きく響き、それにつられるかのように他の皆の笑い声が聞こえた。

 彼女の追跡は、日が傾くまで続けられた。

 今は、朝であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝から酷い目にあった。と、李傕は溜息をついた。

 夕暮れ時になってようやく治無戴は李傕への誤解を認め、剣を収めてくれた。

 

「そういえば羊を連れてきたのよ。祝いの為に」

 

 治無戴はあっけらかんとそう告げる。先程まで怒り、追いかけていた李傕に対して。

 李傕は治無戴より疑われる方が悪い、という大変ありがたいお言葉を頂いていた。いつもの事なので特に気にはしなかったが。

 

「何の祝いだ?」

 

「氐での戦いに区切りがついた。阿貴が戦わずに降伏したのよ。阿貴は氐でかなりの力を持っていて、彼女の降伏により他の部族も戦わずに降伏していて、もう氐の統一は目の前なのよ」

 

「それは、めでたいな!」

 

「それに底も戦に勝って帰って来たのでしょう? それに約束通り第一歩として国を手に入れた。祝いましょう。朝まで」

 

「羊は良いな。丸焼きにして食おう。あれは美味い。李傕、蔵の酒をありったけ出していいな?」

 

 それは華雄の言葉だった。

 一体いつここに来たのだという李傕の問いかけにも彼女は答えず、うきうきと祝いの席の事ばかり考えているようだった。

 今だ雍州は経済も発展しておらず懐事情は寒いのであるが、しかし祝わないわけにはいかない。それに兵士達にも酒を振舞うのは必然だろう。何せ洛陽では全く酒の席など無かったのだ。

 

「……今日は特別だ。準備をしよう」

 

「良く言った! それでこそ李傕だ!」

 

 治無戴が連れてきた羊は千匹にもおよび、雍州の蔵より酒や肴となる干し肉等をありったけ出すことになった。

 本来なら兵士には酒をふるまい、将達は城の中で宴会を行うのだが、三人にとっての宴会とは全員で行うものだった。

 兵の調練を行う広い演習場に筵を敷き、あちこちで火を起こして羊を焼き、兵も将も入り乱れて酒を飲む。

 準備に少し時間がかかり、日はもう落ちて暗くなっていた。が、その宴会は始まるや否や、静かな夜を喧騒で埋め尽くすような乱痴気騒ぎが始まった。

 李傕はいつものように一人、静かに酒を飲んでいた。

 華雄はやはりというか大壺を抱えて一気飲みをしており、周囲には兵士達に囲まれていた。

 治無戴は久しぶりに会う馬騰の元へ行っている。

 

―――それにしても、氐ももう少しで羌と統一か……。

 

 李傕は治無戴との差に、焦燥を感じていた。

 馬騰の宮廷での一件により、李傕は雍州と涼州を手に入れることが出来たのだ。それは第一歩である。しかし治無戴は、もう二歩目を進んでいた。羌は完全に一つとなり、今は氐が一つとなる寸前。焦りの一つもするものだ。

 今後はしばらく羌と氐を合わせた広大な地で遊牧民として生活し、諍いなどが起こらないように経過を見るという。

 遊牧民という基本的な生活は変わらないが、他の部族。さらに言えば習慣等も違う為、小さな諍いは絶え間なく起こる。そしてそれは放置すれば戦いにまで発展してしまう。そうならないためにしばらくは共に生活し、落ち着くまで待つのだ。

 

―――次に向かうとすれば近いところは匈奴か。

 

 今、西涼という新たな地が李傕の手にある為、そこを通って匈奴へと侵攻することは簡単である。匈奴はそこまで大きな領地ではない為、そこまで長い時間はかからないかもしれない。

 しかし、匈奴へ行くという事はその北。鮮卑がそこにある。

 鮮卑は余りにも巨大で、そして、余りにも強い。異民族の中で最も大きな領地を持っており、最も人の数が多い。統一へ乗り出すのは難しいだろう。

 

「おやおやー。何事かお考えですねお兄さん」

 

 今後について悩んでいる李傕の元へ、二人―――程昱と郭嘉がやってきた。

 二人は李傕に向かい合う様に筵に座り、手に持っていた酒を置いた。

 

「私と風が以前、冀州攻めを行うと言っていたのを覚えていますか?」

 

「ああ。覚えている。その為の檄文だと」

 

 袁紹側が逆賊で、自分達が官軍であると主張するために発した檄文。それは反董卓連合との戦いが終わった後、逆賊袁紹の討伐と称して行われると言っていた。

 

「しかし状況が変わりました。今までの考えでは、底殿と董卓が一つであったため、洛陽のある司隷から冀州へと進む予定だったのです」

 

「ですが今や私達は董卓さんと決別した状態。しかし司隷へ侵攻することは出来ません。それは漢という地においてはやってはならぬことであるからです」

 

 司隷は皇帝が住まう地。

 実質的に現在は董卓がそれを治めているという状態だが、正確には違う。いわばどこにも属さぬ皇帝の直轄地。反董卓連合は皇帝を董卓の手より救うという名目を掲げていたが、そのような理由が無ければ攻め入ることは出来ない。

 

「よって司隷を避け、その北である幷州を攻めます。まぁ幷州自体はそれほど苦労せず手に入ると私達は考えていますが、問題は幷州を手に入れるという事は―――」

 

「匈奴との全面戦争。そして鮮卑の脅威は避けられませんねー」

 

「それぞれ匈奴や鮮卑に面した場所の守りを固める必要があり、またその後の戦でも兵が必要になります。なので戦力の増強を疾く行わなければなりません」

 

 涼州。幷州。幽州。これらは特に漢にとって重要な州であった。現在こそ漢の中でそれぞれ諸侯が争う時代が来たものの、それまでは至って平穏であった。

 ただしこの三州だけは別。常に五胡の襲撃と隣り合わせであり、常に戦いを続けていた。涼州は羌族と。幷州は匈奴、鮮卑と。そして幽州は烏桓と。

 

「そこで一つ提案があるのですよー。匈奴を治無戴さんと共に攻め、その脅威を削いでから我々は幷州へ侵攻。治無戴さんはそのまま匈奴の統一へと別れるというのはどうでしょう?」

 

「無論これは治無戴殿が賛同してくれれば、という話です。時期も合わせる必要が有りますので、時間は少しかかっても良いと」

 

「ただ余り悠長に待ってはいられません。何せ諸侯は反董卓連合で受けた傷を癒しながら、もう次の戦いを引き起こそうとしているのですから」

 

 李傕の頭の中には袁紹と公孫瓚の戦いや、孫呉による袁術からの独立。曹操による青洲黄巾軍の吸収。劉備軍の荊州入りなど、様々な出来事が浮かび上がった。

 

「私達が描く絵は天下四分」

 

「四分……?」

 

 天下二分を唱えたとされる周瑜。

 天下三分を唱えたとされる諸葛亮。

 そして今目の前には天下四分を唱えた程昱と郭嘉。

 

「我々西涼。曹操。孫策。そして劉備。世はおそらくこの四強によって分かたれます。そこに至るまでに、どれだけ我々が領地を広げられるか。どれだけの戦力を整えられるか、これに尽きます」

 

「因みに劉備さんですが、そのうち益州に入ると思うのですよ。まぁあくまで予想ですがー」

 

「天下が四分されるまでに、我々はここ西涼から漢の北側、幷州、冀州、幽州までを西から東へ獲りたいと思っています」

 

 漢の西北は涼州。その東にあるのが幷州。その隣であり東北が幽州。漢の北側を西から東へ。幷州と隣り合わせの冀州は内陸側だが、横一面に勢力を伸ばそうと二人は言っているのだ。

 

「今までの漢ではこのような領地の広げ方は大変愚策です。ですがお兄さんには治無戴さんがいらっしゃいます。特に鮮卑の統一までは大変時間がかかると思いますが、統一の為に鮮卑へ攻め入ったとなれば鮮卑は漢への侵攻どころではないでしょう」

 

「底殿と治無戴殿が二人同時に動くことで描くことが出来る絵です。なので底殿には治無戴殿にその旨をお伝えし、まずは共に匈奴侵攻へ向けて動き出したいと思います」

 

「羌と西涼による匈奴侵攻。これが無ければ我々は始まりません。説得の失敗は許されませんよ?」

 

「わかった。任せてくれ」

 

 李傕は了承し、酒に口を付けた。思い出したかのように郭嘉と程昱も置いていた酒を取った。

 周囲からは騒がしい音が常に響いているのだが、今こうして三人の間の言葉が途切れるまで、それは全く聞こえていなかった。

 

「実を言うと私は、曹操殿に仕えようと思っていました」

 

 郭嘉は独り言のように語る。

 

「ですが底殿の噂を聞き、そしてあの日お会いしました。私の意見はその時言った通り。ですがあの日に私はこうも言いました。場合によっては離れることもある、と」

 

 そんなことも言っていたなぁと李傕は頷いた。

 

「今となっては、離れる気はさらさらありません。風が太陽として掲げるとした人。そしてこれほど軍師としてやりがいのある場所は他にないでしょう」

 

 郭嘉は酒を一飲みし、じっと李傕を見つめた。

 

「今回描く絵は、貴方無しでは決して描けなかったのです。羌の地へ赴き、その族長と恋仲になり、五胡と漢全てを統一し一つとする。そして今回の我々が広げるべき示した領地のいびつな形も、底殿。貴方が居なければ誰一人想像さえしないものだったのです」

 

 酔いが回って来たのか、随分と郭嘉は饒舌になっていた。

 心なしか、上半身がぐらぐらと動いているような気がする。

 

「私は軍師としてやりがいを感じていまふよ! そして、かんらず天下を四分ひて新しいへかいを、ばんひのひょうひょうがこわれふひゅんかんほ―――」

 

 最後の方は最早何を言っているのかわからない程で、郭嘉は突然ばたりと倒れてしまった。手に持っていた盃に酒が入っていないのが唯一の救いだろう。

 顔は茹蛸のように真っ赤になっており、鼻からは鼻血が垂れていた。どうやら血行が良くなると鼻血がでる人らしい。

 

「風もお兄さんの下で策を練ることにやりがいを持っています。突拍子もない事を始めたり、身の丈に合わぬ夢を抱いたり、従来では考えられない戦い方をしたり、中々楽しませてもらってますよ。だから、凜ちゃんと風を、失望させないでくださいね?」

 

「ああ。約束する」

 

「ではでは、そろそろお暇するとしましょう」

 

 程昱は郭嘉の襟をつかむと、ずるずると片手で引っ張って行ってしまった。中々力が強いなと思う反面、友人をあのように扱っていいものかと少し考えてしまう。

 李傕は二人を見送りながら、手元にある羊のあばら肉を手に取った。骨の周りに肉が付いているので、箸が無くても食べることが出来る。羊は一般的な肉ではあるが、やはり癖のある臭いに好みがあり、牛の方が重宝されている。

 とは言え肉は肉。民にとっては羊が苦手だから牛を食べる、という様にはならないのだが。

 羌では羊や山羊が一般的で、特に毛皮が大量に手に入る羊は最も多く放牧しており、食べる機会も多い。懐かしい味に李傕が酒を進ませていると、今度は馬超がやって来た。

 

「座っても良いか?」

 

「ああ」

 

 李傕の周りに誰も居ないので、他人の飲むことを嫌っているのかと思った馬超は、確認をして李傕の隣に座った。正面ではなく、隣に。

 

「なぁ。母様が言ってた、あたしと底の……け、けけ、結婚についてなんだけどさ」

 

「えっ」

 

 李傕は思わず周囲を見回してしまった。

 もしも今治無戴が居たら再び、という事を考えたからだ。

 馬超はそんな慌てている李傕の姿を見ていないのか、手元の盃を眺めたままだ。

 

「あたしは、お前なら……別に良いと思っている。だが勘違いするなよ! 知らない奴に嫁ぐくらいなら、お前で良いっていうことだからな!」

 

 李傕は唸った。

 正直な所馬超の事は大変可愛らしいと思っている。好きか普通か嫌いかという三択があれば好きと答える。しかし治無戴との婚約があり、素直に受け取れないところがあった。

 

「お前は私の事、どう思っているんだ?」

 

 嫌いなのか、と酒の力か、瞳を潤ませて顔を覗きこまれては、李傕は最早なすすべもない。

 好きだ。そう口を開こうとした瞬間だった。

 

「あー! お姉さまがお兄さまに言い寄ってるー!」

 

 馬岱の、黄色い声が聞こえた。思わず顔を向けると隣には馬騰とその腰にしがみ付いている韓遂。馬騰は韓遂がしがみ付いてることがさも当然であるかのように意に介しておらず、韓遂はぐへぐへと怪しい声を上げていた。

 そしてその隣。治無戴が居た。

 李傕は戦慄した。座った今の状態では逃げられない、と。

 哀れ無残。李傕の人生はここで終わってしまうのか。

 

「蒲公英ー! 今良いところだったのに!」

 

「ええっ! お姉さま許して!」

 

 馬超は立ち上がるなり馬岱を追いかけて行った。

 

「あらあら。お邪魔しちゃったみたい。後はお若い者に任せていきましょうか。ねぇ紅」

 

「姉妹ー……ぐへへ。大好きだぞぉ……」

 

 あれはもう駄目だ。李傕は見なかったことにした。

 そして自分ももう駄目だ。諦めて座ったままでいると、治無戴は筵に座った。

 

「剣を抜かないのか?」

 

 寧ろ李傕のその言葉に起こったのか、治無戴は視線を鋭くして李傕を射抜く。

 

「底。私は羌の長で、貴方はその夫になるの。しかも今は一国の主。貴方は別に一人しか嫁を迎えてはいけないなんてことはないでしょう?」

 

 じゃあなんでいつも剣を振り回して追いかけるんだ、という言葉に治無戴は溜息をついた。

 

「私達と言ったら、こうでしょ?」

 

 そう言って治無戴は笑い、視線を外に向けた。

 視線を追いかけると、視線の先には何壺目か、酒の入った大壺を一気飲みしている華雄がいた。

 三人はいつもそうだった。

 李傕が他の女に言い寄られれば、治無戴が剣を振り回して追いかける。それを見て華雄が笑う。李傕と治無戴が恋仲になった頃から最早それは伝統でもあり様式美。羌の間でも実のところ有名な話である。

 その言葉に李傕は笑ったものか、呆れるべきか悩んだ。

 

「久しぶりだし一度はやっておかないとね」

 

「俺は毎回生きた心地がしないよ」

 

 治無戴は李傕を本気で殺そうとして追いかけているのではない。しかし、殺しはしないが追いつかれると血を流すというのは、過去に実証されている。

 なので李傕は当然死に物狂いである。痛いものは痛いのだ。たとえ死なないとわかっていても。

 

「それで、この後はどうするって?」

 

「撈と足並みをそろえて匈奴へ共に侵攻するのが良いと言われた」

 

「良いじゃない。久々に三人で戦場を駆けるわけね」

 

「まぁ、氐の統一が落ち着いて、ここ西涼も兵の数を増やしてからだけど」

 

 程昱からは説得と言われていたが、事実を伝えただけで治無戴は乗り気だった。

 李傕も彼女ならきっとすぐに承諾するとわかっていた。

 

「どのくらいこっちに居られるんだ?」

 

「今は阿貴が羌と氐の間を取り持ってくれているから、しばらくは大丈夫。でも、長が居ないというのはあまり良くないから」

 

「そっか」

 

 言葉が途切れると、二人の視線は自動的に華雄へと向けられる。正面に居るから、というわけではない。それは癖と言った方が良いのかもしれない。

 いつだって三人は一緒で、それとなく視線を向けてしまうのだ。

 そしてどちらともなく、そっと顔を寄せて唇を重ねた。

 懐かしい感触だった。

 

「おぉいぃ! 乳繰り合うなら中でやれと前にも言っただろう! 城へ行け城へ! 見せつけるんじゃあないぞ!」

 

 そして華雄がいつの間にか空になった大壺を掲げて叫んだ。そして周囲の兵士達もそうだそうだと声を上げる。

 彼女もまた、自然と李傕と治無戴の事を見ていたらしい。

 懐かしいあの日の光景に二人は笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「大将! 待っとったで!」

 

 翌日、李傕は李典に呼び出されて彼女の部屋へ向かった。

 華雄は調練へ、治無戴は雍州の街を見てみたいというので警邏ついでに観光へ向かっている。

 せっかく揃ったにも関わらず一人寂しく李典の部屋へ赴いた李傕は、そんな気分を吹き飛ばした。

 目の前にあったのは独りでに動く機織り機。かたかた、と音を立てて糸から布が出来上がっていく。

 

「どや! まだ一つだけなんやけど、作り方が分かったからすぐにでも数をそろえられるで」

 

 李傕は近づき、出来上がった絹織物に手を触れた。滑らかで、まごうこと無き絹織物である。

 

「おお……おおお……」

 

 李傕は思わず地に伏せて頭を下げた。今までにない程の礼である。

 

「何してるんや……? 大将」

 

「すぐにでも量産してくれ!」

 

「お、おう」

 

 突然立ち上がり、そう告げた李傕に李典は困惑した。

 なんやこの人、と。

 

「でなぁ、今までこれにばっか着手しとったんやけど、別の物も作ってええやろか?」

 

「別の物?」

 

「そそ。今まではどうしても金が足りんくて作りたくても作れないものが大かってん。んで今は大将から開発費が出とるからええかなーって」

 

「良いぞ。好きに作って良い。これさえあれば……」

 

 李傕はもう目の前の絡繰にしか意識が向いておらず、これからの産業発展について思案していた。外からの言葉など生返事で、李典の言葉も実際よく聞いておらず適当に了承の言葉を伝えていた。

 李典は言うなら今とばかりに機を図り、李傕からの承諾の言葉を聞いてしたり顔だった。好きに作って良い。李傕が確かに言った、悪魔の言葉。

 何せ彼からは元々どれだけ金がかかっても良いと言われており、李典が絹を織る絡繰を作るに際しての費用は全て雍州から出ている。留守を任されていた馬岱はそういう経緯を聞いて、殆ど目も通さず費用の認可を出した。現在その認可は馬岱ではなくその下の文官の所で処理される下の案件になっている。

 つまり自動的に認可されるもの。

 ある種無制限の財源を李典は獲得していたのだ。

 無論それを懐に入れようと思っているわけではない。純粋に絡繰を作るのが好きで、新しいものを作れるというのが楽しく、嬉しい。そしてそれが役に立つと信じて疑わない。それが実際に実用的であろうとなかろうと関係ない。

 李傕は後に、この時何故自分は承認したのかと後悔することになるが、それはずっと後の事である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 絹の糸は村々で商人が買い取り、街で販売する。

 養蚕場の建設はすんでいたが、肝心の養蚕そのものはまだかかる。最低でもあと一年もしなければ糸は取れない。さらにそこから数を増やしていく為、最初はその商人達から糸を購入し、絹織物を販売する。

 絹糸は絹織物より安いとはいえ絹は絹。それなりの値段ではあるが、それでも絡繰の機織り機で織った絹織物は数倍の値段で販売する事が出来た。十分な利益が出ている。

 本拠地となった天水における関税などを含む税率は即座に下げられた。

 流石に楽市楽座というような、商売に関する税の撤廃という事が出来る程金に余裕は無い。しかしある程度下がるというだけでも商人達の入りはかなり違っていた。

 

―――後はもう量産が確立して値段が下がるのを待つしかないか。

 

 現在西涼で作られた絹織物は、商人達の間では少し安く仕入れられる絹織物として評判がある。当然仕入れ値が安く、販売値が従来と同じであれば彼らの儲けは大きい。

 しかし商人達が仕入れた後、それを買う人々が居なければ次の仕入れはだいぶ先になる。今の値段はやはり金持ちの嗜好品というだけあって高価。またその金持ち達も毎日購入するというわけではない。売れるまでしばらく時間がかかる。

 そのため李傕の元には反物としての絹織物が余っている状態だった。

 

―――かといって今安易に値段を下げて全部売るのもなぁ。糸代も決して安いわけじゃないし。

 

 今はそれなりの値段で販売し、大量生産が出来るようになったら量で一気に値段を下げて、民衆にも買えるようにする手はずであった。

 そこまで行ってようやく西涼の絹織物産業は一躍頂点に躍り出るのだ。その時得られる金は計り知れない。

 しかし今はとにかく軍拡に手を広げている所。

 金が一番必要なのは今といっても過言ではない。次の戦はもう視野に入っているのだから。

 思考しながら李傕は謁見の間へと向かっていた。

 今や李傕はここ西涼の主。李傕へ会いに来た人々を客間に通して会うという事はほぼ無い。

 謁見の間へと入り、玉座へと座った李傕の前に平伏しているのは、すべて合わせると二十人程。そして約十人程の者達の姿は―――看護服であった。ナース服と言っても良い。

 余りにも時代錯誤な服装に一瞬戸惑い、質問の一つでもしようとした李傕であったが、やめた。

 

「五斗米道張魯の娘、張衛でございます」

 

「劉虞様の代理で参りました。幽州の商人、張世平でございます。此方は姪の蘇双。私は教徒ではなく、蘇双が教徒で医師団の代表として派遣されました」

 

 張衛と蘇双は女性であった。歳は李傕らと近そうである。

 蘇双は至って普通の服装をしていたが、張衛は看護服。

 一方張世平はでっぷりと太った男性で、李傕より一回り年上に見えた。

 今回李傕の元へ訪れたのは五斗米道と劉虞の医師団の派遣された人々であった。

 

「まずは教祖である張魯に変わり、五斗米道の布教をお許し下さり感謝の言葉もありません」

 

 私もです、と蘇双が言う。

 

「それで先程蘇双殿と話をしまして、一つ決め事をしたのですが」

 

「それは?」

 

「我々五斗米道は兵士の治療―――李傕殿が軍医とおっしゃったというものを専門にしたいと」

 

「そして我々が街などで民を主に治療する役目を、と」

 

「その辺りは自由に決めてもらって構わないが……何か理由が?」

 

 李傕がそう問いかけると、張衛は恥ずかしそうに顔を赤らめた。

 言い辛いことならば言わなくても、と李傕は思ったのだが張衛は口を開いた。

 

「その、我々五斗米道の治療は……うるさいのです」

 

「……?」

 

 李傕は何も言えなかった。

 うるさいとはどういうことか。

 医者といえば、まぁそれなりに患者と話すこともあるだろうし、別に何の問題があるだろうか。

 

「これは……実際に治療を見ていただければわかります。我々五斗米道は治療がうるさいとよく苦情が来てしまうのです……。なのでそれなりにうるさくても問題が無い兵の治療を専門にしようと」

 

「はぁ。まぁそれは別に構わないんだが……。では街の病院は蘇双殿に。張衛殿は軍医としてこれからよろしくお願いする」

 

「はっ。李傕様の寛大な御心に感謝致します」

 

「同じく感謝致します」

 

 二人はそれぞれ兵の居る方と、街の病院が建てられた方へとそれぞれが連れていかれた。残ったのは張世平という男である。

 

「私は劉虞様にとても良くしていただいておりまして。姪の蘇双も一度重い病気にかかり、劉虞様の医師によって命を助けられ、信徒となったのです」

 

 そんな関係だったのか、と李傕は納得した。

 張世平は幽州の豪商として知られている。三国志の中では今だ義勇軍だった劉備に金だったり馬だったり武器だったり、様々なものを貸し付けた人である。その目は将来劉備が大物になることを見抜いての事として知られているが、その後の記述は無い。

 

「これから李傕様が商人との繋がりも重要になるだろうとおっしゃり、姪に同行してきた次第です」

 

「なるほど。では早速ですが、見てもらいたいものがあります」

 

 李傕は指示を出し、絹織物を取ってこさせた。

 

「これは?」

 

「西涼で生産した絹織物です」

 

「ほう。絹織物を」

 

 張世平は手にとっても良いかと確認してきたので、李傕は了承する。

 彼はさっとその生地を指で撫で、確かにと頷いた。

 

「作りも質も悪くありませんな。中々に売れるものであると」

 

「西涼はこれを数年のうちに大量生産する予定です。価格は民が手に取れる値段にまで下げて」

 

「民が絹を手に!? それほどまでに大量生産が可能であると……?」

 

 李傕は頷いた。

 驚くのも無理はないだろう。絹織物は民が手に取れるほど安くは無い。そしてそれを扱う商人である張世平からすれば、今彼が保有している絹織物の価値が下がり大損をすることになる。

 

「まだしばらく時がかかります。ただ、現在試作として作った絹織物が余っており―――」

 

「全て購入させていただきます」

 

 張世平は李傕の言葉を遮り言った。彼はおそらく気づいている。李傕が今金が必要であるという事に。

 

「平均よりは安くしてますが、まだそれなりの値段ですよ?」

 

「構いません。絹織物の値段がいずれ下落するという情報料として、購入させていただきます。この情報は大変貴重です。それに……この事を他の商人に?」

 

 李傕は首を振った。

 

「となれば私はまさに独り勝ち。李傕様より購入した物、私が今販売している物。その全てを下落する前に売りぬけば、後は安い値段で販売する絹織物を仕入れさせていただくだけ。それを鑑みればこれからお支払いする金額など安いもの」

 

「では商談成立ですね」

 

「……劉虞様が私を西涼へ行くよう勧められた理由が分かりました」

 

「それは?」

 

「何故金を貸せとおっしゃらないのでしょうね、李傕様は。商人の私など逆らえるはずもなく言われればそれに従うのみ。しかしこの情報と平均より安い絹で私に損をさせないよう取り計らってくださる」

 

「たまたま条件があっただけの事。私は今この絹を売りたい。そして貴方が現れた。それだけの事でしょう」

 

「ならばこの出会いに感謝致します。すぐにでも金を用意し運ばせます」

 

 張世平は伏して言った。

 思わぬところで金に目途が立ったため、李傕は安堵した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼等との面会が終わり、李傕は何の気なしに軍医の視察に赴いた。

 理由は張衛の言っていた、治療がうるさい、というのを見るためである。

 訪れた部屋の扉を開けた瞬間。それは李傕の耳に入った。

 

「げ・ん・き・に、なれえええぇぇぇ!!!」

 

 切傷で出血した兵士に包帯を巻いた後、張衛は針を振り上げ、兵士に刺していた。それにより痛みが消えたのか、兵士は苦痛の表情から解放されていく。

 

―――うるさっ……。

 

 李傕は素直にそう思い、そっと扉を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「賭博場を国営で作りたい」

 

「却下します」

 

 李傕の言葉に郭嘉はにべもなく答えた。李傕へ視線の一つも送らず手元の書類に向けたままである。

 

「まぁまぁ凜ちゃん。それで、今回はどういう考えですかー」

 

「競馬をやろうと思っているんだ」

 

「競馬とは?」

 

 ようやく郭嘉は李傕の方を向いた。彼女はおそらく金を賭ける麻雀等を想像していたのだろう。

 

「こう、大きな広場で馬を駆って競争をする。それで観客達はどの馬が一等を獲るか予想して金を賭けるというものだ」

 

「まぁそれとなくどういうものかはわかりました。却下です」

 

「待ってくれ、これからが大事な所なんだ!」

 

 話はここで終わりとばかりに郭嘉は再び書類に目を向けていた。

 

「賭博は今も行われている。それは民の間で、闇賭博がだ。こういう娯楽はいつだって無くなりはしない」

 

「だから国営で行えば良いというわけではありません。それによる治安の悪化は想像に易いです」

 

 郭嘉の言う通り賭博は治安の悪化を招く。それは李傕も重々承知であった。

 負ければ金を失い、それを取り戻そうと賭け金を上げる。そして負ければいつしか全てを失い、路頭に迷えば犯罪に走る。それはいつだって変わらない。まして道徳に関して徹底的に教育が行われていない世であれば、どれだけ犯罪が増えるかなど想像もつかない。

 

「金を失った者達が居れば、養蚕場や製糸工場で働かせるつもりだ。それに住む場所さえ失ったものが居たら、兵として雇い心身共に鍛えさせれば良い」

 

 これらはまだ働き手が少ない状態である。規模がまだ小さいというのもあるが、それにしてもまだ足りていない。しかし雇用を増やすというのは難しい。農民は畑を耕す人手が一人でも欲しいという所。ある程度人手があれば丁稚奉公として仕事へ向かわせるという事もあるが、集まりは悪い。

 また専門の兵士というのも数が少なく、受け入れはまだまだ可能である。従来における兵士というのは大抵は農民を徴兵するというものだ。専業兵士はそもそも少ない。五胡の強みとはこの全く戦いを知らない者達から徴兵をしないという点にあった。彼等は産まれながらにして全員が専業兵士と成り得ている。

 兵士がそもそも少ないことについて、それには色々と理由がある。刺史や州牧というような地を治める役職は、擁する兵の数がそもそも定められていた。この数以上の兵は雇ってはいけませんよと、漢より決められていたのだ。さらにいえば兵士を増やしたとしても、専業兵士は彼らが食べる物を生み出せない。その為安易に数を増やすことは出来なかった。

 しかし西涼はこれから絹織物産業によって莫大な金が降って湧くことになる。そうなれば兵士を増やすことは全く問題ない。路頭に迷った者達を受け入れ、住む場所、食べる物、そして服も賃金も与えられる。これは西涼が豊かになるからこそ出来る事である。、西涼が豊かになれば生活も楽になる。そうなれば人も増えるし雇う場所も増えていくだろう。

 一方で生活が楽になり金を手にした民はそれを使いたくなるものだ。そして娯楽を求める。とはいえ娯楽とはそうそうあるものではなく、民間の間で賭博を禁止している今、闇賭博という物が存在している。

 そこで動く金は国へと入っては来ない。いつの時代もどんな街にも、裏が存在し人々から金を搾取しようとする存在は居る。そしてそれを全て消すことなど出来ない。

 国営の賭博はそこへ流れる金を西涼が回収できる。さらに娯楽が提供されるとなればそれを楽しみに日々の仕事にも従事できよう。

 李傕は熱弁した。

 

「それに競馬なら場所さえあればすぐに実行できる。馬券―――どの馬が勝つかを予想したかを記す札は、竹札に判を押し割符にすれば良い」

 

 竹はその辺に生えているものだ。放っておけば勝手に増えていき、竹簡として日々大陸中で処理していても余っている。竹を幾ら使ったところで無くなることは無い。

 

「緊急騎兵の効果も出て、治安は今かなり良い。競馬の開催は十日に一度というように日を決めていれば、仕事もせず毎日賭博に走るという者も減るだろう」

 

「……良くもまぁそこまで考えましたね」

 

「おや、凜ちゃんからお墨付きが出てしまいましたねー」

 

「風! 私は決してそれを認めたわけではありません。ですが、試作段階としてやってみるのは良いでしょう」

 

「おお」

 

「ですが! もしも良くないと判断した場合即刻取り潰します。それに幾ら費用が掛かっていようと変わりません」

 

「わかった。それでは早速着手しよう」

 

 郭嘉から了承の旨を聞いた李傕はすぐ実行に移った。

 建物は最初は無くても良い。馬券を買う場所を設置し、馬が走る場所さえあればそれで良いのだ。馬券は竹札をあらかじめ切っておき、用意しておく。そこには日付と予想する馬、そして競馬でのみ使用する印を押せばすぐ割り印に出来る。それは複製による詐欺が横行しない為の手段だ。そもそも印など一般的には作れるものでは無いし、詐欺はまずこれで起こらないと言って良い。

 文字が書けないものが居ても良いように、文官達に受付をさせ、問題が起こらないように兵士も一定数派遣する必要が有る。

 後は場所が確保でき、競馬を開催する旨をあらかじめ伝えておけば簡単に行える。

 かくして李傕が考案した競馬は始まることとなる。

 それは一つの出会いの予兆でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 土地を確保した李傕は、手すきの文官達を集め役目を伝えた。

 竹札と墨、そして印を用意し、訪れた客からどの馬が勝つかを聞き、何口分購入するかを記載し印を押す。それが終われば左半分を相手に渡し代金を受け取る。

 概算配当率―――賭けた馬が勝てば何倍になるか―――は半刻ごとに計算して受付でそれを表示させることとした。

 そして今回は初回という事で、騎手と馬は西涼の将達から選抜した。

 

「つまり馬を駆って一等を取ればいいわけか」

 

 華雄の言葉に李傕は頷いた。

 

「騎手側は細かいことを気にする必要はない。銅鑼の合図とともに速く駆ければ良い」

 

「馬で競争なんて懐かしいわね。やるわ」

 

 治無戴も乗り気であった。

 西涼は羌から手に入れた馬が多数おり、その速さはどれも折り紙付き。となればやはり騎手側の技術等が結果を変えるだろう。

 

「馬上で華雄に勝てなくても、速度だけなら負ける気はしないぞ!」

 

「お姉さまそれ、言ってて悲しくならない……?」

 

「なっ、良いだろ蒲公英! あたしは速い! 華雄には負けん!」

 

 今回の騎手は華雄。治無戴。馬超。馬岱。馬騰。韓遂。李傕。楽進。于禁。

 あと一人いれば丁度十人で切りが良いと思っている所に、一人見慣れない少女が傍に寄って来た。

 

「走りたい」

 

「賭けるのではなく騎手として走りたいのか?」

 

 李傕が聞くと少女は頷いた。

 髪は短く緑色。程昱のように眠たげな半開きの目が特徴だった。口元はへの字にまがっており、むすっとした表情。彼女は余り多くを語らない。

 

「名前は?」

 

「閻行」

 

 李傕はその言葉に驚いた。

 閻行。それは馬超と比肩する武の持ち主。馬上の戦いで馬超を圧倒し、戦いの最中槍が折れてしまったが、折れた槍で馬超を叩き怪我を負わせたとされる猛将である。

 涼州出身だったと李傕は記憶していたが、雍州と涼州が合併し、ここ天水にやってきたのだろうか。

 

「文官に言っておこう。馬はあるのか?」

 

「無い。でもどれでもいい」

 

 閻行がそう言うので、用意しておいた馬へと李傕は連れて行った。

 騎手十人が決定し、間もなく第一回の競馬が始まろうとしていた。

 屋根の一つも無い屋外。人の集まりは、まちまちであった。

 天水の城下街には立て札を設置し、競馬開催の旨を知らせてあったが、やはり賭け事であるため集まりも悪いのか、そこまで大盛況では無かった。しかしこういうものは回数を重ねることが大事である。第一回が盛り上がれば人々の口の端に上り、人伝に集客も見込めるだろう。

 李傕は購入されていく馬券をちらと見やり、誰が一番買われているかを見た。

 圧倒的だったのはやはりというか、華雄だった。

 反董卓連合で圧倒的な結果を叩き出した騎兵を率いていた華雄。その名声はここ西涼でも最早名高い。

 

―――でも、負けるつもりはない。

 

 馬を走らせることにはそれなりに自信があった。

 華雄は馬の手綱を持たないくらいに馬術に卓越している。しかしそれは速さには直結しない。

 治無戴の部族の一員として合流して間もない頃、速駆けで何度も競争し合った仲である。李傕、華雄、治無戴。誰が一番速いというような結果は出なかった。ある時は李傕が。ある時は華雄。そしてある時は治無戴。それなりに一番を獲ったこともあり、李傕は自身があった。

 定めた時間が過ぎ、馬券の販売が終了される。

 そしてそれぞれが馬を連れ、思い思いに準備をしていた。

 李傕は馬の気持ちは全くわからない。ただ調子が良さそうであるとか、悪そうであるとか、そういうことはなんとなく感じられる。今跨り、首元を撫でる馬はすこぶる調子が良い。

 馬超、馬岱、馬騰らは馬の正面に立ち、まるで話しかけているかのように向かい合っていた。それにどんな意味があるのか、李傕は知り得ていない。

 そして閻行。

 彼女は馬に跨り腕を組んでいた。

 今回最も配当金が高い彼女―――期待されていない彼女であるが、自信ありげに堂々と胸を張っていた。

 そして全員が馬に跨り、銅鑼の合図を待った。

 ドォンという音と共に一斉に走り出す。誰一人出遅れないのは流石と言うべきか。

 しかしその速度は一人、恐るべき速さを出す者が居た。

 閻行。

 彼女の乗り方は所謂モンキー乗り。鐙の上に立ち、腰を折って前傾姿勢をとっている。

 その速さは恐ろしく、他の追随を許さぬほどであった。

 しかし馬と共に生きる者達―――羌族の意地か、治無戴も速度を上げた。あわや追いつくかという所で閻行が一着となり、治無戴は二位。三位は馬超だった。

 歓声と落胆の声が入り混じり、会場は盛り上がっていた。

 李傕は下から二番目。最下位は楽進であった。

 競争を終えて、李傕は激しく心を痛めていた。

 楽進は騎兵として戦うことに向いていない為、普段は徒歩である。馬に乗る機会は余りない。逆に李傕は羌の地でひたすら馬に乗っていた。技術がそのまま速さに直結しないとはいえ、心に来るものがあった。

 しかし傷心中の李傕はそれを抑え込み、西涼の将達に囲まれている閻行の元へ向かった。

 

「その速さを見込んで頼みがある。西涼に仕官しないか」

 

 李傕が閻行にそう告げると、彼女は首を傾げた。

 

「御飯。馬。寝床」

 

 それは彼女の要求なのだろうか。三つ挙げられたその言葉に対し、李傕は頷く。

 

「なら良い。閻行。字は彦明。真名は燈」

 

 突然真名を告げられたが、もうそれなりに経験をしている李傕である。うろたえることなく自らの真名を告げることにした。

 

「李傕。字は稚然。真名は底。西涼を治めている者だ。よろしく頼む」

 

 李傕は思わぬところで出会いがあり喜んだ。

 歴史に名を残した猛将である。それが李傕の配下に加わったのだ。

 

「なぁ、確かにこいつ速いけど強いのか?」

 

 そう疑問を投げかけた馬超。

 閻行はむっとした表情のまま告げる。

 

「こいつ嫌い」

 

「なにおー!」

 

 どうやら馬超との相性はあまり良くないかもしれなかった。

 朝、昼、夕の三回。全て閻行が一着であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕方の競争が終わり、城へと戻った李傕は程昱と郭嘉の元へと向かった。

 今回の売り上げの報告と彼女達の感想を聞くためである。

 特に一回目の売り上げは大変高かった。誰も予想していなかった閻行の独走に、運よく乗れたものは僅かであった。

 二回目、三回目は閻行が速いという事が分かり、売り上げは落ち着いていた。しかし毎回彼女が参加するわけではない。次に開催されるのは十日後で、騎手も毎回変える予定だ。特に圧倒的な速さを誇った閻行は悲しいことに出禁である。

 程昱と郭嘉の元へ向かった李傕は二人の表情の差に気が付いた。

 程昱は珍しくにこにこと笑っており、郭嘉は暗い表情だ。

 

「次は私の予想が当たるはず……今回は運が悪かっただけ……」

 

「良いものですね競馬は。風はたんまり稼がせてもらいましたー」

 

 どうやら二人は賭けていたらしい。

 そして郭嘉は、賭博に最も向いていない人のようであった。発言が完全に負け続ける人のそれである。

 

「それで、続けても良いだろうか?」

 

 第一回の大穴配当金は程昱に多く流れていたようだが、それでも売り上げは黒字であった。

 

「良いと思いますよー。後は騎手の方々に順位順に賞金といった報奨を付けて、いかさまを防ぐというのが良いかと思いますねー」

 

「次は勝てます……絶対……勝てるはず……」

 

 程昱の助言に頷きながら、危険な郭嘉を李傕は放置してその場を後にした。

 ともあれ競馬は西涼で娯楽として確立することとなった。

 閻行という将を擁することが出来たというおまけをつけて。

 


 
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