No.1010250

【BL寄り】月を見るたび。

薄荷芋さん

G庵真(+主人公)。
ほんのりとした庵←真BL風味です。八神さんの路地裏の秘密を見つけたのが主人公じゃなくて真吾だったら、というお話。

2019-11-15 14:21:34 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:797   閲覧ユーザー数:797

ある日の昼下がり、両手に買い物袋を提げた真吾はその重さもなんのそので笑顔で歩いていた。

傍らには先日よりチームのマネージャー、兼道場の管理人になった三峯ゆかりの姿がある。様々な理由があって今は皆と道場で暮らしている器量の良い若者だった。

ちょっとしたおやつしか入っていない軽い買い物袋を持つゆかりは時折真吾を気遣ったが、真吾は「大丈夫っす!このくらいどうってことないですよ!」と買い物袋を持ち上げてみせた。

すると、急にゆかりが何かに気付いて足を止めたので、真吾は心配になってその傍で同じ様に立ち止まる。何せこのゆかりは今、何者かに付け狙われている身なのだ。しかも黒幕は今回開催されているKOFの主催者で得体の知れぬ男だというから気が抜けない。

真吾が周囲を見回してどうしましたか、と真剣な表情で聞くと、ゆかりは若干申し訳なさそうな顔をして彼の顔を見上げた。

「お醤油買うの、忘れちゃった……」

まあ、何か良くない気配を感じたのでなければそれでいい。真吾はほっと胸を撫で下ろすと、踵を返して先刻買い物をしたスーパーの方へと戻ろうとする。

「おれ買ってきましょうか?少し待ってて貰えばすぐに」

「いいよ、真吾くんは先に戻ってて」

しかしゆかりは真吾を引き留めると、そのまま荷物を持って先に道場に帰るように促した。だがゆかりは確実に狙われているのだ、ここで目を離したらどうなるか解らないし、自分に今回の護衛を任せてくれた師匠の草薙京にも顔向けが出来ない。

「でも」

「大丈夫、すぐに買って帰るから」

真吾は食い下がったがゆかりも頑なに遠慮する。彼女も、いつも彼らに手を煩わせてしまっている、という申し訳なさが先に立つのだろう。誰も彼もそんなことは思っていないのだが、彼女の真面目さ故だった。ここで互いに譲らずお見合いになっていても仕方がない。真吾はむむ、と眉間に皺を寄せた後でこくりと頷いてからゆかりが持っていた小さな買い物袋を取り上げる。

「わかりました、それならおれは戻らずにここで待ってます。だから、気を付けてくださいね!」

「うん、ありがとう」

なるほどここが落とし所か、とゆかりも納得して頷くと、すぐ買ってくるからね、と言ってスーパーの方へと戻っていった。

(三峯さん、本当に大丈夫かな……)

通行の妨げにならないように端へ寄ってゆかりが戻ってくるのを待っていた真吾は、彼女と入れ替わるように往来へと姿を現した人物に目を見開く。

赤い髪にロッカー風のパンクファッション。間違いない、あの男は―……。

(八神さん……!!)

悪目立ちするいでたちは渋谷の人混みでもよく解る。間違えようがない、あの男は草薙京の宿敵であり危険人物、八神庵だ。真吾は思わず身を屈めて信号の配電盤の影に隠れる。どうやらこの辺りは彼の生活圏内のようだ。

(まずい、今こっちに気付かれたら……三峯さんまで危険な目に遭わせてしまうかもしれない……!)

何も知らずに戻ってくるゆかりと鉢合わせしてしまうことだけは避けたい、ましてや草薙京と関わりがあると知れたら何をされるか解ったものではないのだ。真吾にしても、ばったり出くわしては「京は何処だ」と鬼の形相で追いかけ回されたことも二度三度じゃない。自分ひとりで逃げるのであれば容易いが、ゆかりを伴ってとなると……逃げ切れるかどうがは五分だろう。

真吾は庵に気付かれぬようにゆっくり、ゆっくりと距離を詰めていく。彼がこの場を去っていくまでは目を離すわけにはいかない、安心はできない。路地裏に入った庵を追い、真吾は物陰から息を殺して彼の様子を伺った。

路地裏はじっとりとした空気を纏っている。両脇の雑居ビルの排熱が淀んで溜まっていて息苦しささえ覚える。こんなところで庵は一体何をしようとしているのか、真吾は緊張の面持ちで立ち止まった彼を見つめた。

庵は周囲を注意深く伺うと、やがてゆっくりと身を屈め、手に持っていたドラッグストアの青いビニール袋から何かを取り出した。

掌に納まるくらいの紙パック飲料か何か、それを乱暴に破くとそのまま地面に零す。

「にゃあ」

何かが鳴いた。彼の声で無い事は確かだ。では何者の声か……声の主は、零された白いミルクを舐め取りながら庵の大きな掌で撫で付けられていた。

「にゃ」

「……」

「にゃ~」

(八神さん、八神さんが猫を撫でてる……)

信じられないものを見た、見てはいけないものを見てしまった、ある意味でショッキングな光景に真吾は固まってしまう。

あの八神庵が野良猫にミルクをやり、撫で、懐かれている。まさか食べる為に飼っている?そんな非現実的なことすら考えてしまう程、繰り広げられている光景はあり得ないものとして真吾の目に映っている。

「にゃあ」

「何だ」

「にゃ~」

「もう此れは空だ、強請っても出てこんぞ」

「にゃ~……」

「おい、やめろ……じゃれるな……」

真吾がショックに呆然としている間にも、庵と猫の逢瀬は続いている。足元にすり寄る猫を面倒そうに、しかし心の底からは嫌ではなさそうな面持ちで見ている庵。真吾は彼の眼差しが明らかにいつもとは違う事に気が付いていた。

(何だろう、八神さん凄く……優しい目、してるなあ……)

そう、優しかった。ゆかりのような万物への慈しみ、というよりは、まるで自分と似ているような存在に対する共感というか、庇護というか、そういう視線で猫を見ているような気がしたのだ。

ショックは幾分か和らいで、代わりに胸の中にモヤモヤして妙な感覚が広がっていく。これまで自分の中にあった『八神庵』のイメージとはまるで違う『八神庵』の姿が目に焼き付いていく。それは真吾の胸を大いにざわつかせた。

もう、大丈夫だろう。この光景を見て真吾は、きっと彼はゆかりに手酷いことはすまいと思い立ち去ろうとした。

が、後退りした瞬間に空き缶を蹴ってしまいその物音で庵が此方に厳しい視線を投げてきた。あの優しい目付きではない、いつもの冷たい視線で。

「誰だ」

(うわ、ヤバい!!)

真吾は身を屈めて姿を隠したまま急いでその場を離れた。庵は追ってこない、きっと勘違いだと思ったのだろう。ゆかりを待っていた場所まで戻ってくると、彼の気配はもう何処にも無かった。

ややもあってゆかりが此方へ小走りで近付いてくるのに気が付く。真吾は急がなくて大丈夫ですよ、とジェスチュアしたが、彼女は醤油の入った袋を片手に息せき切らせてやってきてくれた。

「ご、ごめんね真吾くん!レジが凄く混んでて……って、真吾くん?」

「あ、ハイッ!おかえりなさいっっ!!」

真吾の様子が何やらおかしいことを察したゆかりは、自分のいない間にもしやあの男の手の者が現れたのではと訝しんだ。

「どうしたの?何か……あった?」

「いえ!何も!!さあ帰りましょう!!」

「えっ……あ、うん、そうだね」

しかし真吾は何もないの一点張りで、わざとらしい鼻歌なんかを諳んじてはゆかりを先導した。頭の中では、先刻の庵の姿がぐるぐると廻っていることなど、言えるわけが無かった。

 

***

 

その夜、真吾は何となく眠れずにいた。いつもならとっくのとうに床に就いている時間だ、なのに、ちっとも眠くない。

道場主の大門から宛がわれた部屋の窓からは、冴えた三日月が覗いている。細く鋭く翳って、青白い光を煌々と湛えて、手を伸ばしたら光のしずくがそのまま掌に零れてきそうだ。

『月を見るたび思い出せ』―……。

前回のKOFで、庵が吐き捨てた言葉。それが今になって、聴いた時とはまるで違う印象を伴ってぼんやりと真吾の胸の柔い部分に浮かんでいる。

三日月にしてはやけに明るく見えるのは、今日目にした彼の姿の所為だろうかと考えた。考えていてばかりでは眠れる筈もなく、真吾はそっと部屋を出て道場に向かった。

当たり前だが、道場に人影は無い。月光に照らされた自分の影だけが付きまとう。真吾はそのまま縁側に腰を下ろすとまた月を見上げた。

窓枠に嵌められた姿よりも広い夜空に浮かぶ月。真吾は、正直八神庵という人間のことが良く解らなくなっていた。

尊敬する師である草薙京にいつまでも付き纏い殺すなどと宣う陰気で怖い男。草薙京の敵は自分の敵であり、いつかは退け解らせてやらねばならない者。

しかしあの路地裏で、薄汚れた野良猫を庇護し少し困りながらも強く追い返したりしない姿は、そうまでして厭う存在であるだろうか?

不意に足音がした。驚いた真吾が顔を上げると、そこには畳んだバスタオルを抱えたゆかりが立っていた。ゆかりも驚いたように真吾を見つめている。

「わっ、びっくりした……まだ起きてたんだね」

「す、すみません三峯さん……三峯さんも、遅くまでお疲れ様です」

「道場に置いておくタオルを準備するのうっかり忘れてたから……早く慣れないとね」

「いえ、そんな、いつも本当にありがとうございます」

道場の隅にある棚へタオルを置いて戻ってきたゆかりは、縁側の真吾に「隣、いい?」と問う。もちろん、と真吾が答えると、ゆかりはスカートの裾を気にしながらゆっくりと腰を下ろした。そして、真吾が見上げていた夜空を一緒に見上げてみる。

「綺麗な月……」

「月を見てると……八神さんを思い出しますね……」

ふと、そんなことをごちてしまって、はたと我に返る。どうして今そんなことを彼女に言ってしまったのだろう。慌ててゆかりの方に向き直ると、ゆかりはそんな真吾を真剣に見据えていた。

「やっぱり、何かあった?」

どうやらゆかりは、買い物の帰りに真吾の様子が少々おかしかったことをずっと気にしていたようだった。真吾は彼女に心配を掛けてしまったことを反省しつつ頬を掻くと、正直に全てを話すことにした。

「今日、三峯さんを待っている間に八神さんを見掛けました」

「京さんを殺すって言ってる、あの赤い髪の人だよね?」

「はい」

そう、開会式で出くわしたときもそうだった。面喰った彼女にも大変印象深かったらしくすぐに顔が浮かんだようだ。

「路地裏に入っていくのを見て、その、俺たちのこと待ち伏せでもされてたらヤバいって思って、様子を見てたんですけど……」

真吾は彼が野良猫の面倒を見ていたことや、とても懐かれていたこと、その目が、優しかったことを途切れ途切れに話した。ただ事実を並べ立てても伝わらない気がして、言葉を選んで、ゆっくりと話す。ゆかりはそれを急かすことなく聞いてくれていた。

「いつもは冷たくて怖い感じなのに、あの時の八神さんの目は……綺麗で柔らかい光みたいなものを感じたんです」

この月明かりのような。と言い掛けて、止めておく。ただゆかりには何となく伝わっていたみたいで、彼女は見上げた三日月に感嘆したような吐息を漏らした。

「そっか……」

「草薙さんの敵はおれの敵、そう思ってるのに、その筈なのに、なんていうか……こんなこと考えてていいのかなって思ったりして」

真吾の戸惑いは自身が自覚しているよりもずっと大きいように思える。少なくともゆかりには、今この少年は八神庵という人間に対して抱いている気持ちの変化、自分自身の変化と向き合うときに来ているのかもしれない、そんな風に見えていた。

「ねえ、真吾くん」

「はい」

「真吾くんは、八神さんについてどんなことを知ってる?」

「ええっ」

急に質問されて真吾は言葉に詰まる。知っていること、草薙さんを憎んでいること、紫色の炎を操ること、怖いこと、あとは、何だろう。

するとゆかりは困惑する真吾に優しく微笑むと、月を見上げてまだ出会ったばかりの彼を思い出しながら口を開く。

「私はね、まだ何も知らないの。確かに怖い人だと思うし、京さんを殺すだなんて物騒なことを言うけど……でも、それだけ。たったそれだけしか知らないんだよね、八神さんのこと」

「言われてみたら、おれも……そうです」

「私たちから見えてる月って、全部じゃないじゃない?太陽の光が当たっているところ、地球から見えるところしか見えてない」

大きく欠けた三日月が、本当は丸い衛星であることを誰もが知っている。でも見えているのは細い三日月。ましてや月の裏側なんて、宇宙に行かなきゃ解らないのだ。

見えているもの、見えないもの。知っていること、知らないこと。真吾もゆかりも『知らないこと』の方が多い彼は正しく、月なのではないだろうか。

「確かに八神さんって、お月さまなのかもね。だから思い出すのかな」

「そうかも、しれないですね」

彼が、『八神庵』が一体どんな人間なのか、きっとその全てを知る者は少ないのだろう。他でもない草薙京でさえ、きっと知らないことがある。

そんな彼のことを、もしも知ることができたとしたら。今日目にしたあの優しい眼差しが、そうなのだとしたら。この胸に確かに点った温かな兆しにも、答えが出るのだろうか。

「それじゃ、私はもう寝るね。真吾くんもあんまり夜更かししちゃだめだよ?」

「はい、おやすみなさい!」

「うん、おやすみ」

自室に戻るゆかりに頭を下げて、真吾も自分の部屋へと戻る。そして部屋の中から、またあの月を視た。

「おれの知らない八神さん、かあ」

月は窓枠の中で少しだけ角度を変えていた。ゆかりに話を聞いて貰ったら途端に眠気がやってきたので、真吾は大きな口を開けてあくびをする。

何度も見上げた今宵の三日月に、いつか〝知らない〟彼のことを知る日がやってくるだろうかと、想いを馳せたのだった。


 
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