「突撃ッスーーーー!!!」
「ブヒィィィィィィィィィ!!!」
山中に生死を賭した獣の雄叫びが響く。
互いの必殺の突撃を寸前で躱しあった両者が、突進の勢いを生かして距離を離し、再び睨みあう。
「中々やるッスね!」
「ブヒィ!(貴様もな!)」
先だっての戦で失った霊槍の代わりの竹槍を構えた狛犬と、壮年の勇壮な牙を振りかざす大猪。
だが、そのにらみ合いの均衡が僅かな時間で、再度崩れる。
ブキィ!
ッスー!
短い疾駆から、狛犬の体が宙に跳んだ。
ブヒ!?
それは大猪の視界から、狛犬がいきなり消えたかと見えたほどの、早く鋭い跳躍。
突撃の対象を見失った大猪の脚が、僅かに止まった。
「面っスー!」
狛犬の振り下ろした、良く撓る竹槍が、唸りを上げて大猪の頭を強かに打ち据える。
ごろり。
頭蓋を砕かれた猪が大地に倒れた。
「獲ったッス!」
「……ぶ……ひ(……見……事)」
「いい勝負だったッス、恨みっこ無しッスよ」
狛犬は、まだ苦しげに動く猪の心臓に、正確な竹槍の刺突を撃ち込み止めを刺した。。
「美味しく余さず食べるから成仏するッス、なんみょーきゅーびだいみょうじん、だわわぶつっスー」
知人から伝授された些かならず怪しげな経を、大真面目な顔で上げてから、狛犬は獲物の傍らに屈み込んだ。
「それにしても、でっかいイノシシッスね、みんな喜ぶッス」
そう言いながら、狛犬は大猪の手足を、手近にあった、落ちたばかりと思しき、生木の太い枝に括り付け。
「よっこらせッス」
ひょいと持ち上げた。
狛犬の動きは至って軽そうな物だったが、その重みに、丈夫そうな生木の太い枝が大きくしなる。
そのしなり具合を見るに、この獲物数十貫はあろう、それを感じさせない動きは、さすがに式姫と言うべきか。
「悪鬼は何が取れたッスかねー、楽しみッス」
鼻歌交じりに、悪鬼と約束した待ち合わせ場所に歩き出そうとする、その狛犬の耳がピクリと動いた。
「……むむっ!」
何か、重い物が地を揺らす音。
木々が凄い勢いでなぎ倒されている。
そして、その前方を行く、軽やかだが、かなりの速度で走っている足音。
狩りではない、これは襲撃と逃走の音だ。
もし、人が襲われているなら助けねばならない。
「うおーーーーー、狛犬が行くまで無事でいるッス!突撃ッスーーーーーーーーー!!」
狛犬は、獲物をそこに放り出し、竹槍を手に走り出した。
「どうして、どうしてよ?!」
山中に似つかわしくない、鮮やかな浅葱色の着物が翻る。
不思議な事に、長く袖を引く、山歩きには凡そ適さない優美な衣にも関わらず、木々がそれを絡め彼女の疾走を邪魔する事が無い。
いや、寧ろ彼女の走る前を、草は自ら伏せ、枝は彼女の前から退き、木々の根は地のへこみを埋めるように平かとなり、あたかも彼女を助けるかのように動いていた。
獣道を駆ける彼女と共に、緩やかにうねる豊かな髪と、艶やかな金色の尾が空に踊る。
後ろから迫るモノの気配を探るように、彼女の頭上で尾と同じ色の耳がせわしなく動く。
その耳が、地鳴りのように彼女に迫る鳴動を捉える。
(引き離せない……)
本来の彼女の脚力なら、迫る相手を振り切る程度は出来ただろう、だが今の彼女は。
「どうして自分の子供を襲うの!」
「ぷぎー」
小さなうりぼう(猪の子供)を、胸元に二頭かかえて、彼女は走っていた。
暴れるような事は無く、大人しく彼女に抱かれている二頭だが、荷物を抱えた状態はやはり走るには著しく不利である。
荒い息を吐きながら、その後を獣が追う。
いや……獣と呼ぶのもそろそろ難しいか、一丈を優に超える巨躯は、それが山神か妖と化しかかっている何よりの証である。
その獣の疾走を、草木が阻む。
足元の草はその足に絡みつき、木々は枝を伸ばしてその道を塞ぐ。
だが、その巨体の突進は阻めない。
草がちぎれ、枝がへし折られ、根が踏みにじられ、へし折られた木が地響きを上げて倒れる。
それらの傷口から零れた濃い緑の匂いが辺りを包む。
彼女にとってみれば、それは、友人の血の匂いに等しい。
「ごめんね……ごめん」
うり坊二頭抱えては逃げる事しか出来ない、だが、相手の突進の速度と持続力は、彼女の想像を超える物だった。
このままでは、逃げ切れない。
だが、この二頭を放り出す事は出来ない……見殺しに出来ず、つい自分が手の中に抱え込んでしまった命。
自然に任せる事を否定してしまった以上、自分が最後まで責任を負うつもりであったが。
已むを得ない……。
幼獣よ、生まれて間もない命を支えるには、まだ小さすぎるその手足だが。
「貴方達、自分で逃げられる?」
逃げて、生き延びられる?
「ぷぎ?」
私が囮になる。
彼女がそう思い定めた、その時であった。
「ねーちゃん、横だ!」
彼女の前方、大きく枝を張り出した老木の樹上から、やたらと元気のいい声が響いた。
(あれは!?)
その声の言うように、横に跳べば、一時は後ろから迫る巨獣をやり過ごせよう。
だが、移動しやすい獣道を外れたら、彼女の足は、あの獣から逃げ延びられるだけの速度を喪う、いわば自殺行為。
しかし、その声、そしてちらりと見えた樹上の姿が、彼女の心を決めさせた。
「お願い!」
うり坊二頭を抱えた彼女が、傍らの藪に体を投げ出す。
巨獣がそれを見て足を止めようとする、だが、速度が乗り切った巨体は止まれない。
慌てて向きを変えようと足を踏ん張る、その広い背中に向かい、樹上から斧を構えた人影が飛び降りた。
「よっしゃーーー、てめーの相手はあたしだ、でかい晩飯!!」
そのごつごつした、巌の如き背骨を叩き折るかのように、悪鬼の振るった斧が巨獣の背中に食い込み、血が派手に飛沫(しぶ)いた。
流石の獣がその衝撃に一瞬揺らぐ、だが、絶大な威力を秘めた悪鬼の斧を受けて尚、それは背に乗った異物を振り落そうと、大きく跳ねた。
「うおおっと、あんま暴れんなーーー!肉が不味くなるだろうがっ!」
振り落されまいと、悪鬼が獣の背にごわごわと生えた長い毛を分厚い皮手袋に覆われた左手に絡ませ、力強い両足で相手の胴を締め上げつつ、右手の斧を握りしめる。
だが、さしもの悪鬼も、左右に大きく身をよじり跳躍する大猪に振り落されないのがやっとで、更なる斧の一撃を加える余裕は無い。
激しく跳ねる巨獣の上で、悪鬼は、藪の中で素早く身を起こした彼女に、一瞬目を向けた。
豊かで軽やかな茶色の髪の間から覗く金色の耳と背中で揺れるふわりとした尾。
あの身のこなしとこの外見、そして身に纏う気配は間違いねぇ。
「ねーちゃん、今のウチに逃げろ!」
「ええ!」
本意ではないが、今は逃げさせて貰う。
「ぷぎ、ぷぎー!」
この二頭を、どこか木の洞(うろ)にでも隠す、その間。
それまで、何とか持ちこたえて。
「待ってて!」
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式姫の庭の二次創作小説です。
前話:http://www.tinami.com/view/1003606
あの方が出て来ます。