No.100184

月姫 どこ吹く風に秋葉散る

てんさん

TYPE-MOON「月姫」の二次創作。
これも2001年に書いた物。

2009-10-10 20:21:07 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:2860   閲覧ユーザー数:2732

 

「ちょっと、兄さん!」

 朝。遠野家の食卓。食事を始める前に秋葉が大声を出して志貴を注意した。

「どうした、秋葉。そんなに大声を出して」

 秋葉が何で大声を出したのかわかっていないのか、志貴はキョトンとした視線を秋葉に向ける。

 ――本当に何もわかっていらっしゃらないのでしょうか――

 秋葉はジーッと志貴を見つめる。

 変わらずにキョトンとしたままの志貴。秋葉の視線をそのまま向け止める。

 しばらく見つめるが志貴はまったくわかっていないようなので、仕方ないといった感じで秋葉は言葉を続ける。

「食事の場にまで猫を連れてくるのはやめていただけませんでしょうか?」

 ゆっくりと諭すような口調で秋葉は言う。

 志貴の膝の上には、少し前から遠野家の一員となった―秋葉に言わせれば、志貴が突然連れてきて居座っている―黒猫、名前はレンがちょこんとその存在感をアピールしている。

 志貴の前には、志貴の食事と猫用のミルクが置かれていた。志貴の指示により琥珀が用意したものだ。

「聞いているのですか!」

 まるで秋葉の声が聞こえていないかのように、志貴は目の前にいるレンにミルクをあげるのに夢中だ。

 しかし秋葉には、レンが嫌がっているようにしか見えなかった。

 ――せっかく兄さんがミルクを飲ませようとしているのに、なんて猫なの――

 それが余計に秋葉の気を苛立てていた。

「いいじゃないか、レンもお腹が空いているんだろうから。」

 親の心子知らずではないが、志貴には秋葉の心は全然わかっていなかった。

「別に猫にミルクを与えることを怒っているのではありません。人間が食べる物と同じ位置に猫のミルクを置かないでくださいと言っているのです!」

 苛立ちをまぎらわせるように声を出す。

「わかった、わかった。これでいいんだろ?」

 志貴はミルクの入った皿を床に置くと、膝の上のレンも降ろす。自由を取り戻せたのが嬉しいのか、レンは美味しそうにミルクを飲み始めている。

「食事のことだけではありません。その猫を飼うことについて、私は何も聞かされていないのですが?」

 一層、声を荒げる。

「言ってなかったっけ? じゃあ、今言ったということで」

 そう言うなり、志貴はレンがミルクを飲むのを見つめる。まるで親が子の成長を見ているかのような仕草で。すでに関心は全てレンに移ってしまったようで、秋葉のことなど頭の片隅には残っていないようだ。

「なっ……!」

 湯気が立つほど怒っているというのに、志貴にはまるでこたえていない。

「秋葉様、そろそろお時間ですが……」

 琥珀が秋葉にカバンを差し出す。

 志貴とは同じ学校に通っているわけだが、今週秋葉は日直なので先に出ている。普段でも、志貴は時間ギリギリまで寝ていることが多いので一緒に出かけることも希なのだが。

「わかったわ。兄さん、このお話の続きは帰ってからにしましょう」

 秋葉の性格上、学業をおろそかにできなかった。それが実際の授業でなく単なる日直だとしても。

 秋葉はカバンを受け取ると一度だけ志貴を睨むように視線を向けてから玄関へと移動していく。

 残された志貴は、相変わらずレンがミルクを飲む様子を嬉しそうに眺めていた。

 

「まったく、兄さんにも困ったものだわ……」

 学校から帰ってきて夕食を終えると、部屋に戻るなり秋葉はベッドに横たわった。

 秋葉自身、行儀が悪いと思わないでもないが、そうするしかないほど脱力感を感じていた。夕食のときにも猫のことで注意したのだが、志貴にはまるで通じていなかったからだ。

 うつぶせになり、枕を抱きかかえる。

「食事のときぐらい、兄さんとゆっくりとお話ぐらいさせてくれても……」

 ため息とともに口から出てくる言葉。誰に言うでもない、心のつぶやき。

 ポスンと枕に顔を埋める。

「兄さんのばか……」

 枕だけが知っている秋葉の想い。そんな独り言がいつ始まったのかは秋葉自身も覚えていない。

「それは嫉妬しているのですよ。あの猫に」

 不意に、どこからか声が聞こえてくる。

「し、嫉妬なんて……って、それよりも誰!」

 ――部屋には誰もいなかったはずなのに――

 秋葉は声のした方に振り返る。そこには怪しげな頭巾を被った一人の女性の姿があった。

「……琥珀、何してるのよ?」

 一瞬誰だかわからなかったが、よく見ると琥珀以外の何者でもなかった。

「私は琥珀なんていう名前ではありません。私の名は……」

 一呼吸おく。そして次の瞬間、マントを大げさなアクションで翻す。

「ほうき少女まじかるアンバーなのです!」

 エコーがかかっているのではないかと思えるほど名前が強調されて聞こえてくる。

 秋葉は呆然とすることしかできなかった。

「あなたの望みを叶えましょう」

「……望み?」

 いきなりの言葉に、やっとのことでそれだけを口にする秋葉。

「あなたは、あの猫の立場になりたいのです!」

 ビシッと秋葉を指さす。

「い……」

「あの猫の立場になりたいのです!」

 秋葉は『いいえ』と言おうとしたのだが、その言葉は遮られてしまった。

 そこまで強く言われるとそうなのかもしれないと思ってしまうから不思議だ。秋葉はいつの間にかまじかるアンバーと名乗る少女の言葉を真剣に聞くようになっていた。

「想像してみてください。自分が猫になって志貴さんのひざの上にいるところを」

 言われるままに想像を始める秋葉。それを確認するかの様にまじかるアンバーは頷く。

「そしてのどをゴロゴロとなでられて……」

 秋葉の顔に喜びの表情が見えてくる。想像だけでも嬉しくなってきたのだろう。

「そう、そんな志貴さんにかまってもらう立場になってみたいのです」

「えぇ、兄さんにかまってもらいたい……」

 催眠状態にでもなっているのか、秋葉はまじかるアンバーの言うがままに頷いている。

「そんな悩みもちょちょいのちょい、ほうき少女まじかるアンバーにおまかせよ」

 いきなり、妙にお子様チックな声でホウキをクルクルと振り回し始めるまじかるアンバー。

 すぐ目の前でホウキを回されているというのに、秋葉は瞬き一つしない。どうやら本当に催眠状態にトリップしてしまっている。

「えいやっ!」

 そんなまじかるアンバーのかけ声とともに、ゴンッという凄まじい音が聞こえてくる。秋葉の頭があった辺りから。

「……」

 悲鳴を発することなく、秋葉は意識を失った。

 

「……うんっ」

 目を覚ます。いつのまにか眠ってしまったようだ。寝ている姿勢が悪かったのか体中が痛い。

 伸びをしようとして、自分の体の異変に気付く。視界がいつもと違うのだ。

「にゃぁ……ニャア!」

 声を出そうとして、さらに驚く。先ほどの猫の鳴き声としか思えない声が自分の口から発せられたのだから。

 慌てて自分を見る。目に入るのは猫のものとしか見えない手。視界の隅で揺れるヒゲ。

 ――猫?――

 自分の姿を見ようと鏡を探すが、いつもの所に鏡台はない。と言うよりも、ここは自分の部屋ではなかった。

「レン、起きたのか?」

 後ろから誰かに優しく抱きかかえられる。聞き覚えのある声。兄さんの声だ。

 ――何で兄さんが私の部屋に? しかも抱きかかえられるなんて……でもちょっと嬉しいかも――

 最初はジタバタと暴れていたのだが、すぐに兄さんの腕の中で大人しくなってしまう。

 兄さんに抱きかかえられて多少落ち着きを取り戻し、現在の状況を理解しようと辺りを見渡す。そして今自分が兄さんの部屋に居ることを知る。

「兄さん、朝食の準備ができましたのですが」

 ドアが開き、ある人物が入ってくる。

「あれ、今朝は翡翠ではなくて秋葉が呼びに来てくれたのか」

 ――な、何で私がここにいるのに私がそこにもいるの?――

 ドアから入ってきた人物、それはどこから見ても秋葉であった。

 思考が混乱する。まるで理解できないでいる。

 猫になっている時点で理解などできなくなってしまっていたのだが、混乱が酷すぎてそんなことにも気付いていない。

「えぇ、翡翠は何か用事があるようでしたので」

 そう言って微笑むもう一人の私。微笑と呼ぶのにふさわしい笑みを浮かべている。

「あぁ、すぐに行くよ」

 兄さんは、私の異変に気付かずに返事を返す。ドアの所に居るのが自分自身でなければ私でも違和感は感じないのかもしれない。

「ニャア、ニャア!」

 ――違うのよ、兄さん。その私は私じゃないのよ――

 ジタバタもがきながら訴えるが、兄さんにはまるで通じない。

「今日のレンは機嫌が悪いのかな?」

 そう言ってノドを優しくなでてくる。猫の習性なのか、ゴロゴロとノドが鳴る。

 ――兄さん気付いて!――

 言葉が通じないのがとてももどかしい。

「兄さん、その猫は置いていってくださいね」

 私に向かってクスッと笑う私。蔑むような視線が痛い。その顔が昨日のまじかるアンバーの顔とだぶる。いや、頭巾を被っていたので顔を見たわけではないが、雰囲気が交錯する。

「わかった。レンは部屋に残していくよ」

 すっとベッドの上に降ろされる。

 ――昨日はあれだけ言っても聞いてくれなかったのに、今日はどうしてそんなに素直に……――

 二人が出ていくとすぐにドアは閉められてしまった。

 慌ててドアの所まで行くが、猫の身では開けることなどできない。

 カリカリと爪を立ててドアを掻くが、ドアが開かれることはなかった。

 猫の孤独というものをまじまじと実感させられる。

 ――兄さん、私が悪かったです……お願いですからドアを開けてください――

 懇願する。それが本当に兄に対してなのかはわからない。

 目からは涙が溢れてくる。視界が滲む。

 ――兄さん、兄さん、兄……さん……――

 そして意識がゆっくりと薄れていった。

 

「!」

 ガバッと跳ね起きる。

 慌てて周りを見渡す。秋葉にとって、いつもの見慣れた部屋だ。

「良かった自分の部屋……」

 安堵のため息が自然と出てくる。猫になったことは夢だったのだろうと自分に思いこませる。

「猫って孤独なのね……」

 夢だとは思っても、残されたときの孤独感は忘れられない。秋葉の足は志貴の部屋へと向かっていた。

「ふぅ……」

 ドアの前まで来て軽く深呼吸をする。自分を落ち着けるように胸に手をやる。

 

 コンコンッ

 

 ドアを軽くノックする秋葉。志貴も目を覚ましていたのか、すぐに部屋の中からドアに向かって歩いてくる足音が聞こえてくる。

 ドアが開くとともに見慣れた志貴の顔が現れる。

「そ、その……兄さん……」

 顔を伏せ、もじもじしながら秋葉は口を開く。

「どうした? 秋葉、変な顔して」

「変な顔って!……まぁ、今は許してさしあげます」

 いきなりの志貴の言葉。一瞬だけキッと睨みつけるが、すぐに思い直したように表情を戻す。

「猫を連れてこちらまで来てください」

「お、おい。急に引っ張るなよ」

 秋葉は志貴の腕をとると強引に移動を始める。志貴は慌ててレンを抱きかかえる。

「ここです」

 着いた先は食堂だった。食堂にはすでに琥珀と翡翠の姿もあり、二人と一匹が来るのを持っていたようだ。

「昨日の猫の食事についてなのですが、同じ部屋で食事をするのは許可いたします」

 志貴のペースに陥らないように、秋葉は一気に言う。

「ですが、場所は少し離させていただきます。琥珀」

「はい、秋葉様」

 琥珀の足下にはミルクの入った皿が用意されていた。席から近すぎず遠すぎずという微妙な位置にその場所はあった。

「今度からはこちらで食事を与えるようにしてください」

「レン良かったな。秋葉にも家族の一員として認められたぞ」

 志貴はあからさまに喜びに表情を見せるのだが、レンが喜んでいるのかはわからない。志貴は喜びのあまり、レンの手を持ってぶるぶると振っているので逆に嫌がっているようにも見える。

「それでは、先ほど私の変な顔と仰った件についてですが……」

 志貴の行動が一段落するのを待って秋葉は言う。その言葉には怒気が混ざっていた。

「ちょ、ちょっと待て。さっきは許すって……」

 一歩下がる志貴。だがそこにはすでに琥珀が待ち伏せていた。

「先ほどは『今は許してさしあげます』と言ったのです。時間が過ぎましたので『今は許すことはできません』となります。わかりましたか?」

 さも当然のように秋葉は言う。

「詭弁だ……」

「琥珀」

 志貴の言葉を無視して、秋葉は琥珀に何事かを指示する。次の瞬間、志貴はロープでがんじがらめにされていた。

「志貴さん、私も心苦しいのですが……」

 琥珀は液体の入った注射器を両手に持ち、志貴に迫る。

「嘘だ! その表情は絶対に楽しんでる!」

「志貴さん、二択です。赤と青ではどちらがお好きですか?」

 志貴の目前、今にも顔と顔が触れ合いそうになるほどの距離まで近づいて琥珀は言う。

「翡翠! 翡翠は助けてくれ……」

 顔を背け、志貴は翡翠に救いを求めようとするが、そこには翡翠の姿はなかった。助けを求めるだろうと判断して、秋葉がすでに遠ざけておいたのだ。

「赤と青、どちらが好きですか?」

 もう一度琥珀の質問。

「い、いやだぁぁぁぁぁぁあああ!」

 志貴の絶叫をよそに、レンは出されたミルクを静かに舐めていた。


 
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