No.100061

夜が来る! 争奪戦勃発?

てんさん

アリスソフト「夜が来る!」の二次創作。
これも2001年に書いた物ですね。

2009-10-10 12:18:29 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:2514   閲覧ユーザー数:2395

 

「亮くん、今回一緒に狭間に行くメンバーは誰と誰にするか決まった?」

 日曜日、狭間での訓練をするべく俺たちは部室に集まっていた。火者として光狩を倒すための訓練である。

 俺が初めてここに来た時と比べて、部室の人口密度はほぼ二倍になってた。

 最初から居たいずみさん、鏡花、新開さん、星川の四人。それに俺が来た後に加わった真言美ちゃん、モモ、祁答院。火者になった順番で言うと祁答院だけはちょっと特殊ではあるが。

 その七人と俺を加えた総勢八人の火者、その全員が部室に集まっている。そしていつもの様に、いずみさんにメンバーを誰にするか訊かれていた。一緒に狭間に潜る二人のメンバーを七人の中から選ぶ、それが毎週日曜日の恒例となっていた。

「そうですね、一人はいずみさんにお願いするとして、もう一人は……」

 いずみさんを一人目のメンバーにすると発言した後、俺は言葉を失った。妙な威圧感を感じたからだ。

 

 ギランッ!

 

 鋭い視線が背後から俺を刺す。殺気がこもっているのではないかと思えるほどの視線を。それも一つではなく、二つの視線が背後から感じられていた。

 俺は慌てて振り返る。そこには予想通りの人物が立っていた。新開さんとモモである。二人は声には出してはいないが、自分を選べ、と目で訴えかけてている。二人とも、よほどいずみさんと一緒に潜りたいのだろう。

 だが、どちらを選んだとしても、選ばなかった方に後で文句を言われるのはわかっている。この二人を選ぶことは出来ない。もう一人のメンバーを選ぶべく、俺は部室の中を見渡す。

 もちろん二人の視線は浴びたままだ。ただならぬ緊張感が俺を襲っていた。体感温度も幾分上がってきている。

「じゃ、真言美ちゃん……」

 最初に視界に入ってきたのは真言美ちゃんだった。俺は真言美ちゃんに声をかけてみる。

「だ、ダメです!」

 真言美ちゃんは慌てて両手をパタパタと振って拒絶の反応を返す。

 いつもなら喜んで付き合ってくれるのにどうしてだろうと疑問に思ったが、その答えはすぐにわかった。モモが先ほど俺を見ていたのと同様の、凍てつくような視線で真言美ちゃんを見ているのだ。

 俺が今、真言美ちゃんを選んだら、後で真言美ちゃんがモモに何か言われる、一度そう想像してしまうと真言美ちゃんを選ぶ事が出来なくなってしまった。

 ならば次、と視線を祁答院に向ける

「私も遠慮しよう。後が面倒そうだ」

 やれやれといった感じで、お手上げと軽くポーズを取る祁答院。後ろを確認すると、今度は新開さんがジーっと祁答院を見ていた。

 新開さんか、確かに後でしつこそうな感じはする。結局、祁答院も選べなくなってしまった。

 真言美ちゃんと祁答院に拒否されたことで、残る選択肢も少なくなってきた。俺は焦り始めていた。

「なら、星川で……」

 そろそろ承諾してくれ、俺は祈るような気持ちで星川を見る。

「僕は良いんだけど、後ろがどう言うかなぁ」

 星川は後ろを見ろとでも言うかのように、俺の背後を指さす、それも苦笑しながら。

 後ろを振り合えると、新開さんとモモが今にも掴みかかってくるのではないかと思えるほどの威圧感をかもし出している。星川を選ぶぐらいなら俺をこの場で殴り倒して狭間行きを無くそうとでも思っているんだろうか。

 結局、星川を選ぶことも出来なかった。

 選択肢はもう一つしか残っていない。

「鏡花……」

 俺は視線を鏡花に向ける。

 この二人に対抗できるのは鏡花しかいない。俺はもう一人のメンバーは鏡花に決めた。いや、決めざるをえなかった。

 頼むから拒否しないでくれ、懇願するような視線で鏡花を見る。

「え~、どうしようかなぁ」

 鏡花は楽しんでいるとしか思えない反応を返してくる。だがここで引き下がったら最後、新開さんかモモかのどちらかを選ばなくてはならない。それだけはなんとしてでも避けたかった。

 新開さんとモモは先ほどまでと同様の視線を鏡花に向けているが、鏡花は平然と受け流している。自分にもこれだけのことが出来ればもっと楽になるだろうに、と感心してしまうほどだ。だが、今はそんなことを考えている時ではない。俺はある考えを行動に移した。

「……越野屋の牛丼でどうだ?」

 俺はツツーっと滑るようにして鏡花に歩み寄ると、小声で耳打ちする。物品による買収である。

「得盛りだからね……」

 間髪入れずに鏡花が言う。

 この反応の速さ、覚りの能力を持っているといっても速すぎる。最初からこうなる事を予測していたとしか思えない。先ほどのもったいぶった反応はわざとだ。俺は即座に返事はせずに、鏡花に恨めがましい視線を投げかける。

「二日分……三日分……四日分……」

 鏡花は五秒おきに牛丼の数を増やしていく。買収のレートをあげているのだ。

「ま、待った……いや、待ってください」

 このままでは今月の生活費も危ない。しかしそう思っても、俺には鏡花の提案を受け入れる以外に道は無かった。新開さんかモモかの地獄の二択を回避するには、この条件を飲むしかないのだ。

「……わかった、その条件を飲もう」

 渋々ながら俺は頷いた。

「五日分ね」

 鏡花がニカッと笑みを浮かべる。商談契約ね、鏡花の目がそう告げていた。

「もう一人は鏡花にします」

 いずみさんにそう告げる。

「は~い、いっきま~す」

 元気に手を上げる鏡花。

 俺は狭間に潜る前に、それも光狩を相手にした時よりも精神的に消耗してしまっていた。

 一人目のメンバーをいずみさんにしなければよかったんだ、俺がそう思いついたのは俺とIいずみさん、鏡花の三人で狭間に降りた後の事だった。

 

 狭間での訓練は呆気ないほど順調に進んでいた。光狩との戦いも何度か終えていたが、三人とも怪我らしい怪我もしていない。

「ワナの気配がする……」

 通路の途中で不意に足を止め、俺といずみさんにも止まるように言う鏡花。

 これで今回何度目だろうか、鏡花がワナの気配を感じたのは。今までに狭間に潜った時に比べてワナの数が多いように感じられる。

 今回、ワナがあった場合、その通路は通らずに違う通路を進む事に決めていた。もちろん、その道しか残ってないときはワナを解除して進む。

「ワナって……あれのことか?」

 俺は目の前にある巨大な物体を指差す。

 ワナを探す必要は無く、その物体は目の前にドドーンと存在感豊かに立っていた。

 それは直径三十メートルはあろうかという巨大な、本当に巨大なカゴであった。

 テレビ番組で猿などの動物の知能を見るために行う、カゴの片端につっかえ棒がしてあって、中にあるエサを拾うとカゴが被さって中に閉じこめられるという、いたって簡単な、いたって原始的なワナ。もちろん、これほどの大きさの物を見るのは初めてだ。

「何よ、このワナ……」

 大声で笑い始める鏡花。

 鏡花も今までにこんなワナは見た事は無かったのであろう。一瞬呆気に取られたのかポカーンとしていたが、すぐに腹を抱えて笑っている。それにつられて俺も笑う。

 俺と鏡花の二人はしばらく腹を抱えて笑っていた。なぜかいずみさんだけは普段通りに冷静な表情をしていた。いや、気のせいかもしれないが、ちょっとだけムスッとしているようにも見える。

 そのまましばらく時間が過ぎたが、ずっとこうしているわけにもいかない。この通路を通らなくても別の通路があるのでそちらを進もうかと話していた時、俺は好奇心からこのワナのエサが何なのか知りたくなった。

「エサは何かな?」

 俺は他にワナがないか調べながら、ゆっくりとカゴの中心地点へと移動する。もちろん、いずみさんと鏡花は安全な所、カゴの縁で待機してもらっている。カゴが被さってきても外にいられる位置に。

 見つけやすいワナと見つけにくいワナの二つを仕掛けておいて、一つ目のワナをわざと見つけさせて油断させるという可能性も捨てきれなかったからだ。しかし、そう思ってはいても今にも吹き出してしまうのではないかと思えるほどの笑いが込み上げていた。どうにか我慢しているが、いつその限界が来るかわからなかった。

 それでも、どうにかカゴの中心地点まで笑うことなく到着できた。自分の我慢強さにちょっとだけ自信がついた。だからといって何の意味もないのだが。

 俺はエサと思われる物を探す。そして、それはすぐに見つかった。

「……これは……いずみさんのぬいぐるみ?」

 エサはちょっと大きめのぬいぐるみであった。それもいずみさんにそっくりな。

 ワナを作動させない様に、そのぬいぐるみを近くからじっくりと見る。こんなワナに引っかかりでもしたら、鏡花に一生笑われ続ける事は間違いない。

 そのぬいぐるみは全長六十センチほどで、いずみさんが可愛らしくデフォルメされたものであった。男の俺から見ても可愛いと思える作りだ。それに、デフォルメされているとは言っても、いずみさんにそっくりである。

 このぬいぐるみが市販されていて、デパートなどで売られていたら絶対に買ってしまうだろうと思うほどの素晴らしい出来栄えの一品だ。

「なんだったぁ?」

 鏡花の声が聞こえてくる。カゴが大きいので、俺が居るカゴの中央から、いずみさんたちがいるカゴの縁まではかなりの距離があるため叫び声になっている。

「あぁ、なんでかは知らないけど、いずみさんそっくりのぬいぐるみ~」

 俺も叫び返す。

 本当はこのぬいぐるみを持っていって見せたいところだが、これを動かすと間抜けな結果になる事はわかっているので触ることも出来ない。ここに来て見てもらおうかとも思ったが、わざわざワナの中に来るのもどうかと思うので、このままにしておくことに決めた。

 いずみさんたちの所へ戻るか、そう思って俺が移動を始めた瞬間、それは起こった。

 

 ドダダダダダダッ!

 

 遠くから地響きとともに砂煙が迫ってくるのだ。それは一直線にこちらに向かってきていた。

「光狩?」

 一瞬、光狩が大群で攻撃でもしてきたのかと思ったが違っていた。その砂煙の発生源と思われる場所に二つの影が見えた。よく見るとそれが新開さんとモモだとわかる。

 普段のトレーニングではモモは新開さんの足に付いていくことが出来ないでいたが、今回は二人とも完全に同じスピードで走っている。それも、いつもとは比べ物にならないほどのスピードで。

「取ったぁ!」

 新開さんとモモ、二人が叫ぶ。近づいてきた勢いのまま、二人は俺の両脇を通り過ぎ、いずみさんそっくりなぬいぐるみへとダイブする。その光景は、前にテレビで見たビーチフラッグと言う競技に似ている。ただ一つの目標物に向かって、二人は競る様に飛び込んでいった。

 

 ズザァァァァアアア

 

 二人の走ってきたスピードがスピードなので、ぬいぐるみを取った後も、ほぼそのままの勢いで地面を滑っていく。もちろん、地面との接地面積が広くなっているので砂煙は余計に酷くなっている。

「ゲフッ、ゲホッ」

 俺はその砂煙に包み込まれ、目や口に砂が入ってしまう。完全に何も見えない。目を開くことも出来ない。

「亮くぅん、そこにいると……」

 いずみさんが何か叫んでいる。

 耳だけはどうにか聞こえるのだが、どうしても口の中の砂や、目に入った砂に意識が取られて聞くことがおざなりになってしまう。

 目を擦り、涙で砂が流れると、ようやく現状が把握できた。そしていずみさんが何を言いたかったのかも。そう、カゴが今まさに閉じる瞬間だったのだ。

「あっ……」

 急いで逃げようとするが、もちろん間に合わない。一歩も動けないでいるうちにその瞬間がやってきた。

 

 ズズーン!!

 

 轟音とともにカゴが被さってしまった。

 いずみさんそっくりなぬいぐるみがこのワナのエサになっていたのだから、それが引っ張られればワナが動作するのはわかっていた。しかし、新開さんとモモの登場、それとその行動に呆気に取られてしまったためにワナの事をすっかり忘れてしまっていたのだ。

「うそ……」

 俺は慌ててカゴの縁まで移動してカゴが持ち上がらないか試してみる。しかし、カゴは微動だにしない。これだけの大きさのカゴだ、その重さも半端ではなかった。

「亮、あなたって……バカ?」

 カゴを挟んだ向こう側で鏡花が腹を抱えて笑っている。それも服が汚れるのも気にせずに地面を転げまわりながら。このワナを見た時の笑い方が霞んでしまうほどの、人間はこれほどまでに笑えるのかと思ってしまうようなすごい笑い方だ。

 俺は何も言い返す事が出来ないでいた。反論しようと言う気持ちよりも、恥ずかしさが勝っていた。穴があったら入りたいとはこんな状況を言うのだろう。

「いずみ、こんなバカは置いて行きましょうか……あっ、そうだ」

 いずみさんの手を取って歩き出そうとしたが、ふと足を止める鏡花。何を思いついたのか、紙とペンを取り出すと何かを書き始める。キュッキュッと小気味よい音が聞こえてくる。

「まずはこれねっ」

 心から嬉しそうな笑みを浮かべながら鏡花が差し出した紙には『ミューラーの小屋』と書かれていた。前に鏡花が名付けたネコ、バルバロッサと同様のネーミングセンスだ。つまりこれは鏡花のペットだということだろう。そしてこのカゴがペットの小屋なのだと。

「それからこれっと」

 今度の紙には『しつけ中につき、エサを与えないでください』と書かれていた。完全に遊ばれている。

 紙をカゴに貼る鏡花。それも字を俺によく見える向きで。外から見たら紙の表裏が反対なのだが、こんな所に人が来るはずがないのでこれで正しいのだろう。俺をバカにするためだけの物なのだから。

「じゃあね、ミューラー。わたしたちはこれから光狩と戦ってくるけど良い子にしているんですよ」

 まるで小さい子供に言い聞かせるように言うと、鏡花は本当にどこかに去っていってしまった。しっかりといずみさんを連れて。

 ポツンと取り残された俺は、何をするでもなくその場でただ呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。

 

「ちくしょー、それは俺のだ!」

 いずみさんと鏡花の姿が見えなくなってすぐに、そんな言葉が聞こえてくる。モモの声だ。

「ふっ、負け犬の遠吠えだな」

 今度は新開さんの声。

 俺は二人の声に振り返る。カゴのほぼ反対方向に二人の姿が確認できた。

 先ほどのダイブの後、さすがに滑ったままではワナの範囲外までは行けなかったようで、二人とも俺と同じくカゴの中にいた。ただ、現状を把握しておらず、ぬいぐるみの所有権争いをしている。先ほどのダイブではどうやら新開さんがぬいぐるみをゲットしたらしい。

 俺は二人の元へと移動する。二人とも砂まみれになっているというのに、ぬいぐるみには埃一つない。あのダイブの中、良く守ったものだと感心してしまう。

「二人とも、どうしてここに?」

 俺は声をかける。しかし、二人からの反応は返ってこない。二人ともぬいぐるみに夢中なのだ。

「俺のだって言ってんだろ!」

 新開さんが持っているぬいぐるみを取ろうとするモモ。

「ふんぬーっ!」

 新開さんも取られまいと必死だ。ただ、物がぬいぐるみなだけに二人とも力をそれほど入れれないでいる。力いっぱいに引っ張ったらすぐに裂けてしまいそうだから。そんな状況なので、声の大きさとは逆に非常に地味な攻防が行われている。

「お~い、二人とも?」

 もう一度声をかける。先ほどよりも近づいて。それでも反応は返ってこない。ちょっとだけ悲しくなる。

 どうしたらいいだろうか、俺は考える。

「あぁ、あんな所に水着姿のいずみさんが……」

 ボソッと小声で言ってみる。

 古典的な方法を試してみようと思ったのだが、いざ声に出そうとしたら恥ずかしくって小声になってしまった。小声でも恥ずかしかったのだろう、自分で顔が赤くなっているのがわかる。

 二人にも聞こえなかっただろうと思い、他の手段を考えようとしたのだが、先ほどまでの喧騒が嘘のように静かになっている事に気付く。

 もしかして……、俺は二人の様子を観察する。二人ともぬいぐるみに手をかけたまま、目だけが異様に動いていた。いずみさんの姿を求めて。

 今さら嘘と言うとどんな事になるのか想像もしたくなかったので、話題を変える事にした。

「二人とも、どうしてここに?」

 先ほどと同じ質問をする。今度は無視される事はなかった。

 二人も、俺の言葉が嘘でいずみさんがいないとわかったが、『水着姿のいずみさん』という単語に反応した事を恥じているのか、その事には触れないでいる。

「おまえらが出かけてすぐに、机の上に手紙が置いてある事に気付いたんだよ」

 俺の言葉にモモが答える。その言葉に新開さんも頷いている。

「最初は中を見るつもりはなかったんだけど、どうしても気になったんで中を見たんだ。そしたら、いずみさん手作りのぬいぐるみが狭間の中に置いてあるって書いてあって……」

 手紙を勝手に見た事を悪いと思っているのだろうか、モモの言葉は力なく途切れていく。

「うむ、それを持って帰ってきた者がその所有権を有するとも書いてあったぞ」

 新開さんが、そんなモモの説明を補う。

「それでぬいぐるみを……」

 つまり、二人はいずみさん手作りのぬいぐるみ、今は新開さんの手の中にある物、先ほどまではワナのエサになっていた物を取りにここまで来たのだ。そしてワナの事など構わずにぬいぐるみを取ったものだから、カゴの中に閉じ込められたという事だ。もしかしたら、二人は今もカゴの中に閉じ込められているという事に気付いていないのかもしれない。

 誰がそのぬいぐるみを置いたのか、手紙を書いたのは誰なのか、何のためのワナなのか、幾つかの疑問が頭を過ぎったが、まずはこのカゴから外に出る方法を考える事が優先だと、俺は頭を働かせる。三人が力を合わせても持ち上げる事は無理だろう、新開さんが居ても。新開さんが三人居たらわからないが。そんな無意味な考えが浮かんでは消えていた。

「……はっ! それよりもさっきのは納得いかねぇ! 俺の手が先に触ってたんだ」

 俺の発したぬいぐるみと言う単語。その単語に反応してモモは急に元気になる。

「条件では持ち帰った者と書いてあっただろうが」

 新開さんはモモに掴まれるより速く、ぬいぐるみを頭上へと持ち上げる。身長差のため、モモは触れる事も出来なくなった。

「だから、先に触った俺が持ち帰る権利があるって言ってんだよ!」

 食い下がるモモ。ジャンプしてもぬいぐるみに触れる事が出来ないため、どうにかして口で言い負かそうと必死だ。

「先に触った証拠はない!!」

 新開さんはきっぱりと言い切る。こちらはモモがぬいぐるみに手が届かないと知って大分気楽になっているようだ。

「そうだ、亮に決めてもらおうぜ。あの時、近くで見ていたからわかるだろ?」

 不意にモモが俺の方を見るなりそう言う。

「へ?」

 俺はぬいぐるみの事など気にせずに、どうやったらこのカゴから外に出れるかを考えていた。話を振られるとは思っていなかったので、急に声をかけられてビックリしてしまった。

「ふむ、第三者に判断を委ねるのか。レフェリーだな……よし、その提案受けたっ!」

 新開さんもモモに提案を受け入れてしまった。蚊帳の外にいたはずが、いきなり責任重大な判断をしなければならなくなってしまったのだ。

「さぁ、どっち!」

 新開さんとモモ、二人の声がハモる。

 この場から逃げたかったが、カゴの中なので逃げ場はない。

「さぁさぁ!」

 ジリジリと迫ってくる二人。

 俺はすでにカゴから出る事など考えられなくなってしまった。メンバー選択で地獄の二択をどうにか回避したというのに、ここでこんな状況に陥るなんて、俺は自分の不幸に自ら同情していた。

 しばらく待っても俺が何も言わないので、二人はまたぬいぐるみの所有権を懸けた言い争いを始めていた。そしてそのまま、飽きることはないのだろうかと思えるほどの時間が過ぎていった。

 もちろん、俺がどちらかに決めてしまえば言い争いは終わるのだろう。しかしその後の展開が読めているので、俺は相変わらずの中立を保っていた。少なくとも、俺の意識はぬいぐるみの事よりもカゴから出る事の方に重点が置かれていた。

「そんなぬいぐるみなんてどうでもいいですから、ここから出る方法を考えましょうよ」

 カゴから出る方法が思いつかず、イライラしていた俺はそんなセリフを口にしてしまう。そして、そのセリフを言ってしまった事を激しく後悔した。

 カゴの中に閉じ込められてからすでに数時間が経過していた。思考能力が低下していたとしても誰が責めることが出来るだろうか。

 不意に二人の言い争う声が止む。先ほどまでの喧噪を考えると不自然なほどの静けさだ。

「聞いたか?」

 新開さんはモモに尋ねる。

「あぁ」

 新開さんの言葉に、コクンと頷くモモ。

 二人は指の間接を鳴らしながら詰め寄ってくる。

 この状況に比べたら先ほどの状況は天国と言っても良かったかもしれない。少なくともどちらに恨まれるかの選択権があったのだから。だが、今は二人に恨まれるだけしかないのだ。

 一瞬逃げようと思ったが、背後はすぐにカゴだ。俺は振り向きカゴに手をかけてどうにか動かそうとするが、先ほど渾身の力を込めても動かなかったのだから、いきなりで動くはずも無い。

「いずみさん手作りのぬいぐるみを『そんなぬいぐるみ』扱いしたよなぁ!」

 

 ガシッ!

 

 モモが背後から俺の右肩を掴む。

「うむ、許せる事ではないな!」

 

 ガシッ!!

 

 モモの言葉にウンウンと頷きながら、新開さんは俺の左肩を掴む。

 掴まれている肩に痛みが走る。二人とも本気で掴んでいるのだ。まるで潰れろと言わんばかりの力で。

「そうそう、俺、新しい技覚えたんだ」

 俺の背後で二人が会話を始める。もちろん肩は掴まれたままだ。

 激痛で俺の顔は歪み始めていた。

「ほう、奇遇だな……」

 先ほどまで言い争っていたのが嘘のように、二人は平然と話を続けている。まるで仲のいい友達が放課後の教室でムダ話をしているかのような雰囲気で。

「と言うことはゴリポン も新技があるのか……」

 その後、しばらく沈黙が続く。刑の執行を待つ死刑囚のような気分だ。

「新技って、覚えると試してみたくなるのは人間として正当な欲求だと思わねぇか?」

 一瞬、モモの視線が鋭くなったのを感じた。実際にモモの目を見ることは出来ないが、見えない方が幸せだろう。見えてしまうと一層恐怖心が膨らんでしまうから。

 俺の頭の中には、ニタッと笑うモモの顔がはっきりと浮かんでいた。

「うむ、そうかもしれんなぁ」

 その新開さんの言葉に、先ほどのモモと同じく、ニタッと笑う新開さんの顔が浮かぶ。

 実際どんな表情をしているのかは確認することが出来ない。それに、二人がそんな表情をした所は見た事は無いのだが、なぜか何度も見た事があるかのように細部まではっきりと表現されている。

「いっけぇぇぇぇ! 金属バットォ!!」

 二人は俺の肩から手を離すと、まずはモモが新技を披露する。

「げぶっ!」

 モモの技の直撃を受け、俺の体はカゴへとめり込む。胃液が逆流しそうなほどの衝撃に、俺は気を失いそうになる。

「ぬおぉぉぉ! 新開スペシャル!!!」

 そこに今度は新開さんの技が襲ってくる。こちらも正確に俺の体へとその威力を伝える。

「ぐぼぉっ……」

 自分の体が自分でないような、そんな変な感覚。上方から自分の体を眺めているような、そんな感覚に襲われた。幽体離脱というものであろうか。一瞬、『死』という言葉に脳裏を過ぎる。

 

 ベギャッ

 

 二人の技で吹き飛ばされ、カゴが悲鳴を上げる。しかし、カゴは壊れることなくその威力をそっくりそのまま俺に跳ね返してきた。

 あまりの威力に、俺はそのまま意識を失っていった。仲間なのだからせめて手加減して欲しかった、そんな小さな望みとともに。

 

 亮が、新開と百瀬の二人に詰め寄られていたのと同時刻。鏡花といずみは狭間の中を歩いていた。

 二人になってからは光狩に会う事もなく、散歩のような状態になってしまい、延々と歩く事に疲れたのか、二人は休憩を取ることにした。

「それにしても、光狩が出なくなったわねぇ」

 腰を下ろしながら鏡花は呟く。

 亮も一緒にいた時には何度か光狩に遭遇していたのだが、カゴの中に放置してきて以来パッタリと遭遇しなくなってしまった。

「そうねぇ」

 いずみは、相変わらずのんびりとした口調で答える。手元に湯呑とお茶があればさぞや似合う事だろう、そう思わずにはいられない雰囲気だ。

「そういえば、亮がいずみのぬいぐるみがどうとか言ってたけど、あれってなんだったんだろうね?」

 鏡花はいずみに問いかける。答えを期待しての事ではない。ただの話題作りのためのものだ。神経を張り詰めている事に疲れたので雑談でもしてリラックスしようと考えた。もちろんいつ光狩が現れてもいいように、二人とも最低限の気は張ったままである。

「あのワナの中心にぬいぐるみがあったのよ、私そっくりの。そうね、大きさはこのぐらいかしら」

 鏡花の問いかけに答えるいずみ。両手を使って胸の前でぬいぐるみの大きさを表現する。輪郭をなぞるような感じで、まるで目の前に実物があるかのような正確さだ。

「へぇ、詳しいわね。見たわけでもないのに」

 そんな事を亮が叫んでいたっけ、鏡花は先ほどの事を思い出す。自分の、何があったの、という問いかけに亮がそう答えていたな、と記憶を掘り起こす。

 でも大きさまで言ってたかしら、鏡花の頭には疑問詞が浮かんでいた。

「だって、私の手作りですもの」

 きっぱりと言ういずみ。

 鏡花は、まるで自分の頭の中を覗かれたかのように自分の疑問を解消してくれる答えに驚いた。

「え?」

 鏡花は声をあげて驚いていた。先ほどのいずみの答え、ぬいぐるみがあった、というのは、亮が叫んだ事だったから答えられるのはわかる。だが、今度の言葉は鏡花を驚かせるのに十分なものだった。

「今朝、皆が部室に来る前にワナを設置したの。その方が訓練になるかなって思って」

 いずみは説明を続ける。

「やっぱり実践が一番の訓練よね。だから皆にも狭間に降りてもらおうって考えているのよ。そのためにいろいろ仕掛けをしてるんだけど……」

 いずみが言っているのは部室に置かれていた手紙の事だ。新開と百瀬はいずみの思う通りに狭間へと降りてきた。もちろん、鏡花はその事を知らない。

「新開くんとモモくんは単純だから楽なんだけど……他の人はどうしようかしら」

 どんな手を使ったかはわからないが、新開と百瀬があの場所に現れたのはいずみが何かをしたからだという事を鏡花は理解した。

「でも、大人数で狭間に潜って光狩と戦っても訓練にはならないでしょ? だから分散するように仕掛けておいたんだけど、タイミングが合っちゃったみたいね」

 残念そうにいずみが言う。しかし、その顔には微笑が浮かんでいる。

 どこからが計画されていた事なのだろうか、鏡花はいずみの顔を見ながら考える。そして、その想像が怖い方向に向かい始めた所で考えるのを止める。それ以上考えると火者になった自分の存在自体も疑わなくてはいけなくなりそうだったから。

「あら、私の顔に何か付いてる?」

 鏡花にジーッと顔を見られている事に不信を覚えたのか、いずみは尋ねる。

「う、ううん。そんなことないわよ」

 頭を左右に振って慌てて否定する鏡火。そのまま先ほどの考えを振り払ってしまう。自分の考え過ぎだと思い込ませるかのように。

「そういえば、さっきワナってどこかおかしかったかしら?」

 ふと、いずみがそんな言葉を口にする。

 いきなり話題を変えられたので、鏡花も即座に対応することが出来ないでいた。頭の中でいずみの質問を繰り返してみるが、その意図が良くわからない。

「どうして?」

 結局、尋ね返す鏡花。

「だって、鏡花ちゃん笑っていたから」

 いずみの言葉に、鏡花は無言になる。

 気にしている、いずみはワナを笑われた事を気にしている、鏡花の背中に冷たい汗が流れる。今の状態のいずみに逆らったら危ない。鏡花の動物的本能がそう告げていた。

「変だったかしら? 鏡花ちゃん」

 先ほどよりも強い口調で尋ねるいずみ。いや、口調自体が強いというものでは無い。言葉に力があるというか、威圧感を感じるというか、上手く説明できないが、少なくとも鏡花は完全に緊張した状態に陥っていた。

「イエ、ソンナコトアリマセン」

 なぜか片言の日本語で答える鏡花。

「そう、変じゃないのね、良かった。それより、鏡花ちゃんたら変な言葉になってるわよ」

 クスクスッといずみが笑う。

「そ、そうかしら、あははは……」

 鏡花は、とりあえずの危険が回避できたのでホッとする。それでも笑い声はぎこちないものになっているが。

 そこで会話が止まる。

 辺りはシーンと静まり返っていたる。

 二人とも一言も発しなくなって数分が経っただろうか。鏡花は息苦しさを覚えていた。いずみは相変わらずのほほんとしたままだ。表情から心情が読めないことが、余計に鏡花を圧迫していた。

「……ねぇ、あの二人にとって、いずみってどんな存在なのかな?」

 雰囲気を変える意味も兼ねて、恐る恐るではあるが鏡花は尋ねてみる。

「……ブリーダーかしら、もしくは支配者?」

 ちょっと考えてから、語尾上がりな口調でそう答えるいずみ。そう答えたいずみの表情は、いつもの様ににこやかななものであった。

 いずみの答えの様に、確かに新開と百瀬の二人はいずみの言うことなら何でも聞いているし、指示には従う。だが、当の本人がこんな事を考えているとは二人は露ほども思っていないだろう。

「そ、そう……」

 鏡花の中でいずみのイメージが音を立てて崩れていく。完膚無きほどに。

 それ以降、鏡花は一言も喋ることなく狭間を後にした。心の中で、いずみには絶対に逆らうまいと誓いながら。

 

「う……くっ……」

 徐々に顔を痛みの感覚が襲ってくる。

 俺は気が付くと地面に寝かされていた。顔の痛みは、新開さんとモモにカゴに打ちつけられた痛みであろう。あの後、そのまま気を失ってしまったのだな、とりあえずの状況を俺は理解する。

 俺は辺りを見渡すが、狭間の中なので気絶してからどのくらいの時間が経過したのかはわからない。

「二人は……?」

 顔をさすりながら、俺は新開さんとモモの姿を探す。嫌なほど聞こえていたぬいぐるみの取り合いをしている声が聞こえないのでどこにいるか見当がつかない。二人ともカゴから抜け出てしまったのだろうか。

 

 ドサッ ドサッ ドサッ

 

 ふと横を見ると、テンポ良く土が積み上げられていく。その先には大きな穴があり、土はそこから放り投げられてきているようだ。

「なんで土が?」

 俺は、その穴の横まで移動する。その間に何度か土が放り投げられてきたので、それに当たらないように注意しながら。

「おぉ、目が覚めたのか」

 穴の中には新開さんとモモがいた。俺の存在に気付いた新開さんが声をかけてくる。

「どうしたんですか、穴なんか掘って」

「いやな、さっき気付いたんだが、カゴに閉じ込められているんだよ」

 新開さんが答える。

 今までは気が付いていなかったのか、そう言いたかったが、俺は口にすることはしない。出来れば今日はもう何も話したくない気分なのだ。

「カゴを持ち上げようとしたんだが、重くて持ちあがらなくってな。仕方がないから穴を掘って下から脱出しようってことだ」

 良い汗かいているぞ、そう言いたいのだろうか、なぜか新開さんはそんな満足げな笑みを浮かべている。

 穴掘りや薪割りなどの単純的な肉体労働は筋肉を作るのに良いという事は聞いたことがあるが、それでもこの状況でそんなことを考えられる新開さんをすごいと思ってします。

「ポリゴン、口動かしながらでも手を動かせ!」

 モモが怒鳴る。新開さんは俺と会話している時、完全に手が止まっていたことをモモが非難してきたのだ。

 新開さんはものすごい勢いで、顔をモモの方に向ける。

「あっ、俺も手伝います」

 険悪な雰囲気になりそうな予感がしたので、俺はそう口にする。俺自身、ここから早く出たいというのが本音だし、喧嘩して時間をロスするのが嫌だった。

「そうか、なら掘った土を上に放り投げてくれ。俺も掘るのに専念するから」

 そう言って、新開さんはモモの隣に立ち土をものすごい勢い掘っていく。こういう力仕事の時の新開さんは頼りがいがあることを改めて実感していた。

 しばらく無言で作業は続けられた。

 時間感覚がおかしくなっていたのでどのくらいの時間掘っていたのかはわからないが、感覚的にはそろそろカゴの外に出られるはずだ、そう思った瞬間モモが叫んだ。

「光が見えるぞ!」

 そのモモの声に、俺たち三人はラストスパートをかける。すぐに人が通れるだけの穴が開き、モモ、新開さん、俺の順に穴から抜け出る。

「出れた……」

 俺は安堵のため息をつく。

「それじゃ、再開といきますか」

 ホッとしている俺を無視するか如く、妙に気合の入った声で新開さんに話しかけるモモ。

「うむ」

 コクンと頷く新開さん。

「それは俺のだぁぁぁぁぁああ!」

「ふんぬー、渡さん!!」

 何度目になるであろうか、ぬいぐるみ争奪戦。二人の声は狭間の隅から隅まで届く大きなものであった。

 そんな二人を置いて、俺は狭間の出口から慣れ親しんだ世界へと戻っていった。


 
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