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「東京ラビリンス」第20話・依頼人

「東京ラビリンス」第20話・依頼人
現代ファンタジー小説「東京ラビリンス」
第20話・依頼人

「悠人さんの妻にしてもらおうと思ってきました」
悠人が連れてきた見知らぬ美女は、澪たちの前で、
臆することなくニコッと笑って言う。
彼女の本当の目的は——。

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「日比野涼風(ひびのすずか)と申します」
 凛とした声が、形の良い唇から発せられる。
 悠人に連れられてきたその美女は、剛三の書斎に集まっていた澪たちの前で挨拶をすると、両手を重ねて恭しく一礼した。小柄で細身の体には不釣り合いなほど、胸にはボリュームがあり、ブラウスははちきれんばかりになっている。
 澪たちは唖然とし、剛三は怪訝に眉をひそめる。
 それでも、彼女は堂々としていた。正面を見据えたぱっちりとした目、僅かに口角の上がった紅を引いた唇——表情は凛としたまま揺らがない。背筋もピンと伸びている。全体的に理知的で仕事の出来そうな雰囲気だが、あまりきつい感じがしないのは、やや童顔ぎみの容貌によるところが大きいのだろう。
「私は、銀座にある小さな画廊のオーナーで、まだ駆け出しですが美術鑑定士もしております」
「まわりくどいのは好まん。簡潔に用件を述べてもらおう」
 剛三は威圧的に睨みつけた。
 しかしながら、彼女は臆することなくニコッと笑う。
「実は、悠人さんの妻にしてもらおうと思って押しかけてきました」
「え……、えええっ?!」
 耳をつんざくような大声を上げ、澪はパイプ椅子からずり落ちんばかりにのけぞった。艶然と微笑む涼風と、その背後に控える悠人を、口を半開きにしたまま交互に見つめる。篤史も、遥も、声こそ上げていないが、息をのんで大きく目を見開いていた。
「真面目に話してくれないか」
 そう言った悠人の声には苛立ちが滲んでいた。
 涼風は軽やかに振り向いて、大きな瞳をくりっとさせる。
「あら、結構本気なのよ」
「私には婚約者がいます」
「そうなの? なぁんだ残念」
 悠人に冷たく一蹴されると、芝居がかった調子でそう言い、手のひらを上に向けて肩をすくめた。残念と言うわりには、それほど残念そうに見えない。むしろ、楽しげにくすっと笑みさえこぼしていた。
 剛三は、おもむろに眉根を寄せる。
「思い出したぞ。おぬし日比野夏彦の娘だな」
「はい、その節は大変お世話になりました」
 先ほどまでのおちゃらけた態度とは打って変わり、すっと姿勢を正して剛三に向き直ると、明瞭な声でよどみなく礼を述べた。肩より少し短めの黒髪をさらりと揺らし、流れるように深々と頭を下げる。
「父の絵画を取り戻していただき感謝しております」
 その言葉で、澪にも何となく事情がわかってきた。涼風のために絵を取り返したのは、おそらく、絵画泥棒である怪盗ファントム——といっても、澪には覚えがないので、悠人と大地がやっていた先代の方だろう。
「そして」
 涼風はちらりと悠人を一瞥した。
「悠人さんには、父を亡くして泣いてばかりいた私を慰めていただきました。優しく抱いてくださったあの日のことは、今でも忘れていませんし、これからも決して忘れません」
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