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現代ファンタジー小説「東京ラビリンス」第9話・喪失

現代ファンタジー小説「東京ラビリンス」第9話・喪失
現代ファンタジー小説「東京ラビリンス」
第9話・喪失

「誰がみすみすチャンスを手放すと思う?」
悠人が本気で自分との結婚を考えているのだと、
彼の思うままに事態が進んでいるのだと、
澪はあらためて強く思い知らされた。

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 空調の静かな運転音が澪たちを包む。
 おそらく帰ってきたばかりだったのだろう。脚に触れるシーツはひんやりと冷たく、部屋の中もまだほとんど暖まっていなかった。窓に引かれたカーテンは中途半端なところで止まっている。
「それで、何の用かな?」
 悠人は椅子に深く腰掛けたまま悠然と尋ねた。まるでこの状況を楽しんでいるかのようである。しかし、当然ながら、澪の方はそんな気分になれるはずがない。膝にのせた両手をグッと握りしめると、そこに視線を落として切り出す。
「このまえ約束した話なんですけど……」
「ああ、彼氏と別れたら僕と結婚するって話だな」
「そう、その話……やっぱり撤回させてください!」
 緊張で体をこわばらせながら全力でそう言いきり、勢いよく頭を下げた。息を詰めてじっと返答を待つ。
「駄目だよ」
 耳に届いたのは感情のない声。
 澪はそろりと顔を上げ、大きな漆黒の瞳で追い縋るように尋ねる。
「どうしても?」
「そうだなぁ……」
 悠人は思わせぶりに腕を組んだ。そして、斜め上に視線を流してぽつりと言う。
「条件次第では譲ってあげてもいいかな」
「本当ですか? どんな条件ですか?!」
 ようやく見えた一筋の光明に、澪は必死に食らいついた。今にもベッドから飛び出さんばかりに身を乗り出す。その勢いに気おされることなく、悠人は悪戯っぽい笑みを浮かべて見つめ返すと、組んだ腕をほどいて答える。
「澪が僕との結婚を了承してくれること」
「ふざけてるんですか!」
「いたって真面目なつもりだけど」
 沸騰したようにいきり立つ澪に、悠人は飄々と言葉を返した。それから少し表情を引き締めて続ける。
「僕の目的はそれなんだからね。誰がみすみすチャンスを手放すと思う?」
 その瞳には強い意志が秘められていた。
 ゾクリ、と背筋が震える。彼が本気でこの結婚を考えているのだと、そして彼の思うままに事態が進んでいるのだと、澪はあらためて強く思い知らされた。次第に速くなる胸の鼓動を鎮めるように、右手を胸に押し当てながらも、どうしても消せない不安に顔を曇らせる。
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