竹屋さんの応援お返事ボード

続きに期待@最初部の文で恋姫祭りが終わって1月?1ヶ月の間違い?かな?


お返事遅くなりました――。ご期待に添えるようがんばりまっす。なおアレは一月(ひとつき)の意味だったのですが、確かに紛らわしいです。わかりやすい表現に改めさせて頂きます。


09/03/10 21:28

単福の乱でコメントさせて頂きました、クォーツです。以前書き忘れていたのと、余り長いコメントは登録されないので、こちらで・・・。
蜀編を読み返していたら、朱里の口から水鏡塾の同士でお菓子作りの上手い元直ちゃんと言う名前がでていますので、この単福もお菓子作りが上手くないと・・・。そして、此処まで徐庶を愛される竹屋さんには是否、余り語られていない徐庶のその後を恋姫風に書き綴って頂きたい。先ずは徐庶の名前ですが、徐庶と言うのは晩年に改名されたもので、それ以前は単福、もしくは徐福と名乗っていました。徐庶は曹操に下った後、曹操に仕え、中郎将(騎馬隊の統率者)を経て御史中丞(皇帝ここでは曹操又は曹丕の側近の副官)と言う孔明、鳳統と肩を並べる軍師としてはやや低めの位までは出世したものの、劉備を思い之と言った献策には関わっていない。また、孔明は北伐の際、曹魏下の友人(どれも水鏡の門弟。徐庶含む)の曹魏での冠位を聞き、どうしてあれ程の人物が重く用いられないのか、と嘆いたというエピソードも。さらには良く言われる曹操に下る時の母親の筆跡を真似た偽手紙ですが、どうやら演義のみでの話のようです。之からの展開の手助けになれば幸いです。


コメントありがとうございます。
真恋姫におけるはわわ軍師のワンタッチスルーですな。コレは日常描写だけでなく上手に織り込みたいと思います。あと「福→庶」の改名の件は承知しております。単の名字も演義作者の勘違いという説も勿論存じておりますが、あえて、作中に愛紗の推論の形で独自案を提示させて頂きました(『単福の乱』第二回参照)あと、有名なニセ手紙の件ですが――まあ、この『外史』だと程昱は、あの風なわけで。ニセ手紙なんて手を使うわけが……わけが、わけ………何となく否定し切れませんが、まあ、コレも上手にしょうかしていきたいもんです。


09/03/10 21:26

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